ルクセンブルク(読み)るくせんぶるく(英語表記)Luxembourg

翻訳|Luxembourg

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ルクセンブルク(国)
るくせんぶるく
Luxembourg

西ヨーロッパの大公国。北と西をベルギー、東をドイツ、南をフランスに囲まれた小さな内陸国で、面積2586平方キロメートル、人口44万4050(2002)。正式名称はルクセンブルク大公国Grand-Duch de Luxembourg。国名は「小さな城」を意味するレッツェブルクLetzeburgに由来する。ベルギーと同じくゲルマン、ラテン両民族の分布境界線上に位置し、国名のフランス語読みはリュクサンブール。ゲルマン、ラテン両文化の影響を深く受け、国家の帰属も複雑に変化した。首都は同名のルクセンブルク。[川上多美子]

自然・地誌

北部のレダンジュ~シュール川以北はアルデンヌ高原の一部で、砂岩、珪岩(けいがん)からなり、400メートル前後の隆起準平原と深い谷になっている。最高点は北部のベルギー国境に近い559メートルの地である。南部は標高300メートル前後の台地状をなし、東西方向に石灰岩、砂岩と泥灰岩の互層からなるケスタ地形がある。中心的水系は北部でシュール川、南部ではドイツとの国境となっているモーゼル川。南西部にはフランスのロレーヌ地方に続くジュラ紀の鉄鉱床がある。気候は西岸海洋性気候であるが、やや内陸性の特徴を示す。首都ルクセンブルクの平均気温は、最暖月7月17.5℃、最寒月1月0.6℃、年降水量は866ミリメートル(1971~2000年平均)。
 国土は南北に二大別される。エスリングOeslingとよばれる北部は全体の32%を占め、農村では14ヘクタール程度の小麦、牧草栽培の混合農業が多い。エスリングの北東部にはシュール川やウール川の刻んだ峡谷があり、「小スイス」といわれる保養地となっている。小都市では伝統工業の繊維、皮革、ビール醸造のほか、1960年代にアメリカ資本の化学工業が進出した。南部はグートラントGutlandとよばれ、国土の68%を占める。肥沃(ひよく)で穏やかな気候の地域である。小麦、タバコ、牧草栽培による混合農業のほか、南東部のモーゼル川流域ではブドウ栽培と発泡性ワイン製造が重要産業となっている。経営規模も平均26ヘクタールで北部より大きい。フランスのロレーヌ地方に続く南西部国境沿いのミネット鉱産地では、19世紀後半から製鉄業が発達し、首都周辺とともにEU(ヨーロッパ連合)の重要な鉄鋼業地域を形成している。[川上多美子]

歴史

紀元前50年ごろローマ人に征服された当時は、ゲルマン系トレベリ人の居住地であった。紀元後3世紀には今日の首都の位置に小城塞(じょうさい)が建設され、山地には封建諸侯の居城や修道院が建てられた。5世紀末フランク王国に編入され、843年のベルダン条約でロタール領となる。ルクセンブルク家の創始者となるアルデンヌ伯ジークフリートは、963年今日の首都に城塞を築いて独立した。1060年ごろその子孫のコンラートはルクセンブルク伯爵の称号を得た。この家系は14~15世紀に黄金時代を迎え、4人の神聖ローマ皇帝、4人のボヘミア王、1人のハンガリー王や多くの選帝侯を輩出した。だが家領拡大は財政破綻(はたん)をもたらし、家督争いも加わって1443年ブルゴーニュ家に売却され、以来スペイン、フランス、オーストリア、プロイセンと次々に外国の支配を受けた。「北のジブラルタル」とよばれた崖(がけ)上のルクセンブルク要塞は、4世紀にわたって20回以上包囲され荒廃したが、国民の統一性、独立性はかならずしも失われなかった。
 1815年のウィーン会議でルクセンブルク公国は大公国に格上げされるが、大公位はオランダ国王に属することとなり、同時にドイツ連邦の一員となるという複雑な状態に置かれた。1839年ロンドン条約で領土の西半分がオランダからベルギーに割譲され、これによって今日のルクセンブルクの領土が確定し、大公国の政治的独立が列強によって承認された。さらに1867年のロンドン条約で、プロイセンとフランスの緩衝国として大公国の中立が保障された。しかし二度の世界大戦ではドイツ軍に占領され、多大の犠牲者と国土の荒廃がもたらされたので、1948年NATO(ナトー)(北大西洋条約機構)に加盟し、中立を放棄した。すでに1922年ベルギーと関税同盟を結んでいたが、48年オランダを含めてベネルックス関税同盟を結成した。ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)を提唱したのはルクセンブルク出身のフランス外相ロベール・シューマンだが、ルクセンブルクはオランダ、ベルギーとともに戦後のヨーロッパ統合の動きのなかで積極的な役割を果たした。[川上多美子]

政治

憲法はベルギー憲法をモデルとして1868年に制定された。この憲法に基づく立憲君主国で、大公位はナッソー家男女の世襲制である。2002年現在、大公は2000年に即位したアンリ。議会は一院制。60議席の国民議会があり、18歳以上の有権者が直接普通選挙により比例代表制で選出する25歳以上の議員で構成され、任期は5年。ほかに大公任命の21名の終身議員からなる枢密院がある。中心政党はキリスト教社会党、社会労働党、民主党で、3党の連立内閣をつくることが多い。内閣は少なくとも3名の閣僚で構成されることになっている。地方行政の基礎は118のコミューヌ(市町村)であるが、行政区画としては三つのアロンディスマン(郡)と12のカントン(小郡)がある。司法制度は基本的にナポレオン法典に基づいており、各カントンに治安裁判所があり、上級裁判所として二つの郡裁判所と最高裁判所がある。
 外交は、第二次世界大戦後、小国であるため経済統合の推進と国家の安全確保を柱に展開してきた。1842年から第一次世界大戦終了までドイツと関税同盟を結んでいたが、以降はベルギーと緊密な関係を保っている。今日では政策の具体化にあたってはベルギーの外交政策と軌を一にしている。軍事面では、集団安全保障体制のなかで自国の安全を確保する政策をとり、NATOの原加盟国である。兵制は志願制で、総兵力900人(2001)の陸軍をもつ。[川上多美子]

経済・産業

国内総生産199億ドル(2000)。産業別では、第一次産業は1.6%、第二次産業は38.5%、第三次産業が59.9%である(1993)。19世紀なかばまでは貧しい農業国であったが、国内鉄鉱石の開発とトーマス製鋼法の発明で1911年ごろから鉄鋼業が急成長し、鉄鋼は最大の輸出品となった。だが1960年代後半から先進国間の激しい技術革新競争があり、国内鉱の生産コスト高、資源の枯渇、賃金高騰などで鉄鋼業は斜陽化し、生産は激減した。そのため、産業再編成が問題となり、1962年の新工業振興法により、アメリカ資本のタイヤ、合成繊維、プラスチックなど化学工業が導入された。
 不況の鉄鋼にかわったのが銀行業である。税制優遇措置や企業活動への規制の緩さから、1970年以降旧西ドイツを先頭として各国から銀行が急激に進出し、一大国際金融センターとなった。金融業からの法人税は国家収入の約32%(1996)になっている。EUの主要産業地域に近接する立地上の利点、発達した交通網、迅速な行政上の手続処理、英・独・仏語に堪能(たんのう)で国際性に富む国民、質の高い労働力、政府・経営者・労働組合の三者協議の成果としてストライキの混乱のない安定した労使関係などをもとに、外国資本の導入、企業誘致を積極的に推進している。失業率は3%台(1995)でEU内で最低である。通貨はユーロ。世界でもっとも貿易依存度が高い国であるが、70年代より貿易収支は赤字である。主要輸出品は金属、機械、電機、プラスチック・ゴム、繊維となっている。主要輸入品は金属、機械、輸送機器など。主要相手国はベルギー、ドイツを主とするEU諸国である。
 交通網は、高速道路の整備、ルクセンブルク空港の近代化と拡張、鉄道の電化、モーゼル川の運河化と築港により、陸・水・空路で他のヨーロッパ諸国と緊密に結ばれている。[川上多美子]

社会

国民はゲルマン系のルクセンブルク人でほとんどカトリック教徒である。EU諸国のなかでは高めの出生率(13.6‰、1994)で、4.1‰(1994)の自然増加率となっている。総人口の36.9%(2001)を外国人(ポルトガル人とイタリア人が多い)が占め、労働力不足を補っているが、彼らの高い出生率が総人口の減少を食い止めている。就業人口の10%を占めるベルギーやフランスからの越境通勤者も含めると、全就業者の約52%が外国人である。彼らは製鉄業に従事する以外に、ルクセンブルクに設置されているヨーロッパ裁判所、ヨーロッパ議会事務局、ヨーロッパ投資銀行本部、ヨーロッパ通貨基金、ヨーロッパ会計検査院などの国際機関で働く者も多い。言語は、1984年の特別法で、国語としてルクセンブルク語が、行政語としてフランス語とドイツ語が指定された。ルクセンブルク語はドイツ語の古い方言にフランス語の要素が加味したもので、国民の日常語となっている。義務教育は6歳から15歳までである。小学校1年でドイツ語の読み書きを学び始め、小学校2年からフランス語の読み書きが加わる。そのうえ、中等教育では英語を選択して学習する者が多い。総合大学はなく、2年の大学課程修了後は近隣諸国の大学に留学する。2001年の1人当り国内総生産は世界一の高水準で、国民の生活水準は高い。これは長期の政治的安定、経済発展、流入外国人労働力のため有効労働人口比が相対的に高くなったこと、などによる。マスコミ関係で注目されるのは、ヨーロッパ最大の民間放送会社ラジオ・テレビ・ルクセンブルクの存在で、国内はもとより、ドイツ、フランスにも多くの視聴者をもつ。
 日本とは1960年(昭和35)にベネルックス通商協定、査証免除協定を締結して通商関係をもっている。貿易関係は、日本からルクセンブルクへの大幅な出超となっており、主として機械類、繊維、精密機器を日本が輸出し、輸送機械、機械器具、陶器などを日本に輸入している。駐日ルクセンブルク大使館は1987年に開設された。日本からは銀行、商社など24社(1998)が進出している。[川上多美子]
『栗原福也著『ベネルクス現代史』(『世界現代史21』1982・山川出版社)』

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百科事典マイペディアの解説

ルクセンブルク(国)【ルクセンブルク】

◎正式名称−ルクセンブルク大公国Grossherzogtum Luxemburg/Grand Duchy of Luxembourg。◎面積−2586km2。◎人口−54万人(2013)。◎首都−ルクセンブルクLuxemburg(10万人,2013)。◎住民−ドイツ系が大半。◎宗教−カトリック約90%。◎言語−ルクセンブルク語(国語),フランス語,ドイツ語。◎通貨−ユーロEuro。◎元首−大公,アンリHenri(2000年10月即位)。◎首相−ベテルXavier Bettel(2013年10月就任)。◎憲法−1868年10月制定。◎国会−一院制(定員60,任期5年)。2013年10月選挙結果,キリスト教社会党23,社会労働党13,民主党13,緑の党6ほか。◎GDP−543億ドル(2008)。◎1人当りGNI−7万6040ドル(2006)。◎農林・漁業就業者比率−2%(1997,ベルギーを含む)。◎平均寿命−男78.0歳,女83.0歳(2013)。◎乳児死亡率−2‰(2010)。◎識字率−100%(2004)。    *    *ヨーロッパ西部,ドイツ,フランス,ベルギーに囲まれた大公国。国土はアルデンヌ山地の延長にあたる標高500m前後の高原で,ドイツとの国境をモーゼル川が流れる。住民の大部分はドイツ系で,フランス語が事実上の公用語であるが,日常的にはゲルマン語系のルクセンブルク語(国語)が広く用いられている。農業では,小麦,大麦,エンバク,ジャガイモの産が多く,牛,豚の畜産もある。鉄鉱の産に恵まれ,鉄鋼業が発達,鋼製品が主要輸出品となっている。ベネルクス経済同盟に加盟し,ベルギー,オランダと政治的,経済的に密接な関係にある。1人当りの国内総生産(GDP)は世界最高水準。 10世紀半ばアルデンヌ伯ジークフリートが,現在のルクセンブルク市を拠点に周辺一帯を支配したのが国の始まりである。11世紀にルクセンブルク伯の称号を得,14世紀に公国となった。フランス,スペイン,オーストリアの支配を経て,1815年ウィーン会議の結果,ネーデルラント王統治の下に大公国となった。1867年永世中立が国際的に認められ,独立した。第1次・第2次大戦ではドイツに占領された。永年の中立政策を放棄して,1949年北大西洋条約機構(NATO)に加盟,EUの一員としてヨーロッパ統合に積極的である。ルクセンブルク市にはEU諸機関が置かれており,また総人口の4分の1はヨーロッパ諸国からの移民から成る。1999年ユーロ圏の始動に参加した。EUの中心地という地の利を活かして国際金融センターとして成功し,情報通信産業の振興にも成功,新自由主義的な経済政策を進めているが,低い失業率と小さい経済格差でEUの優等生といわれる。2010年以降のユーロ危機,ソブリン危機では,EU議長国としてドイツとともにEU経済立てなおしに尽力している。

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