ルロワ・グーラン(読み)るろわぐーらん(英語表記)André Leroi-Gourhan

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルロワ・グーラン」の意味・わかりやすい解説

ルロワ・グーラン
るろわぐーらん
André Leroi-Gourhan
(1911―1986)

フランスの先史学者。パリ生まれ。国立東洋言語学校でロシア語と中国語の課程を修めるかたわら、マルセル・モースの講義を聴講するなどして独学で民族学を学ぶ。1930年代前半、開館したばかりのパリ人類博物館で「極北の民」のコーナー展示をまかされた。トナカイと自然環境とのかかわりを先史時代からの人間の文明史研究へと応用する独自の視点を示した『トナカイの文明』La civilisation du renne(1936)を刊行して先史学者としての地歩を築く。第二次世界大戦後には1945年に文学の、また1954年には理学学位を授与され、リヨン大学教授、パリ大学教授、コレージュ・ド・フランス教授、民族学研究所所長などの要職歴任、民族学研究所養成所、先史時代学術調査学校を創設するなど、大家としての名声を確立した。1966年には、スイス、ジュネーブ大学より名誉博士号を授与されている。

 アルシー・シュル・キュール洞窟(ヨンヌ県)、パリ南東のパンスバン野営地などの旧石器時代遺跡のほか、多くの遺跡の発掘調査を実施。アルシー・シュル・キュール洞窟においては、洞窟内に描かれている壁画がすべて特有の意味をもつグループとして組織され、対置されることによって、男性もしくは女性を象徴する機能を相補的に担っている事実を突き止め、その綿密な調査の結果をもとに「男女両性神話説」という学説を提唱した。一方テクノロジーにも強い関心をもち、1946年に旧フランス領コンゴ(現、コンゴ共和国)を調査旅行した際には35ミリフィルムで撮影し、映像による記録を行った民族学調査の先駆として知られる。1937(昭和12)~1939年には日本政府給費留学生として来日し、第二次世界大戦直前で日仏両国間の関係が思わしくないなかで東アジア先史文明の研究に打ち込み、1938年には北海道でアイヌ文明の調査を行っている。

 単行本をはじめ、雑誌や百科事典への寄稿も膨大な量にのぼり、その一部は日本語にも翻訳されている。なかでも、主著身ぶりと言葉』Le geste et la parole Ⅰ,Ⅱ(1964、1965)は、先祖から子孫へと伝えられる人間の記憶を、(1)遺伝情報によって伝えられる生物学的記憶、(2)言葉や口承によって伝えられる言語的記憶、(3)残された道具によって伝えられる技術的記憶の3種類に区分する視点を提示、大きな反響をよんだ。優れた記憶論、技術論でもあるこの視点はその後のメディア論を先取りするものでもあり、「メディオロジー(メディア学)」の勃興などを経て、メディア論の始祖として再評価された。その他の著書には『先史時代の宗教と芸術』Les religions de la préhistoire(1964)、『世界の根源』Les racines du monde(1982)など。なお日本滞在時の記録は、考古学者の山中一郎(1945―2013)が編集した『ルロワ・グーランの見た日本』Extrait du Japon vu par André Leroi-Gourhan, 1937-1939(2001)にまとめられている。

[暮沢剛巳 2019年1月21日]

『荒木亨訳『身ぶりと言葉』(1973・新潮社/ちくま学芸文庫)』『蔵持不三也訳『先史時代の宗教と芸術』(1985・日本エディタースクール出版部)』『蔵持不三也訳『世界の根源――先史絵画・神話・記号』(1985・言叢社)』『La civilisation du renne(1936, Gallimard, Paris)』『ベルナール・シュティグレール著、暮沢剛巳訳「ルロワ=グーラン――非有機的有機体」(『現代思想』2000年7月号所収・青土社)』『Ichiro Yamanaka ed.Extrait du Japon vu par André Leroi-Gourhan, 1937-1939(2001, Osaka Culture Research Association, Osaka)』

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