出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
フランスの化学者.1869年エコール・ポリテクニークに入学.普仏戦争(1870~1871年)では,同級生とともにパリ包囲戦での抗戦に参加.同校卒業後,1871年パリの鉱山学校に進学し,1873年卒業して北アフリカに赴き,1877年に母校の鉱山学校の一般化学教授となった.1887年に学位を取得し,工業化学および冶金学教授となり,同年より1908年までコレージュ・ド・フランスで無機化学を担当した.1907年ソルボンヌ大学の一般化学教授となり,多くの学生を指導し,1925年に退官した.熱分析の手法により焼きセッコウの生成過程を研究し,セッコウの焼成の最適温度が通説よりも低いことや,焼きセッコウが無水物ではなく水和物であることを明らかにした.また,セメントの硬化過程がケイ酸カルシウムの水和反応によることを見いだした.さらに,原料の焼成過程の検討で必要となった,500 ℃ 以上の高温測定に適した白金ロジウム熱電対を開発した.鉱山ガス爆発や高炉中のガス反応の研究から,化学反応の平衡到達に至る条件に関心をもち,化学平衡にある系の一因子の変化は,それと逆方向の変化をもたらすというルシャトリエの法則を1884年に発表.冶金学の分野では,膨張計などを用いて同素変態の研究を進め,合金の研究に相律を先駆的に応用し,成功をおさめた.またフランスの冶金学雑誌を創刊し,自ら編集に携わった.F.W. Taylorの科学的管理法にも関心をもち,第一次世界大戦後は社会的および哲学的問題に関する著作を発表した.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
フランスの化学者。鉱山監督官の子としてパリに生まれる。エコール・ポリテクニクおよび鉱山学校を卒業し,1877年鉱山学校の教授に就任する。1907年よりソルボンヌ大学教授となる。セメントの研究から発展して,1884年〈ル・シャトリエの法則〉として知られている化学平衡に関する法則を導き,化学工業の合理化に大きく寄与した。研究業績はつねに化学の応用面に結びつき,セメントの焼成・硬化,気体の燃焼・爆発,合金の状態変化などにおよぶ。また,これらの研究過程で,光学高温計,白金-白金ロジウム熱電対,膨張計,金属顕微鏡などの機器を開発し,窯業工学,金属工学の科学的研究の基礎をつくった。熱力学の応用にも関心をいだき,J.W.ギブズの業績を認め,仏訳し紹介した。主著に《高温測定》がある。1904年《冶金学雑誌》を発刊,編集主幹をつとめた。
執筆者:神崎 夏子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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