レオ4世(読み)レオよんせい(英語表記)Leo IV

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レオ4世」の意味・わかりやすい解説

レオ4世
レオよんせい
Leo IV

[生]?. ローマ
[没]855.7.17. ローマ
ローマ出身の第103代教皇在位 847~855)。聖人ベネディクト会修道士であり,教皇セルギウス2世(在位 844~847)から司祭枢機卿(→カーディナル)に叙階され,その死後に教皇位を引き継いだ。サラセン人(→サラセン)により 846年に破壊されたローマを再建し,攻撃に備えて都市を要塞化した。849年,イタリアの複数の都市と同盟軍を組んでオスチア沖に来襲したサラセン船団を打破し,854年には頻繁に攻撃を受けていたチビタベッキアを要塞化した。教会内部では,高位聖職者の不正行為に厳しい姿勢で臨んだ。強い影響力をもったランスの大司教ヒンクマルに対し,教皇の承認なしに帝国の臣下を破門したことを強くとがめた。また,教皇庁への忠誠を高めるため粛正をはかりサン・マルチェロ教会の枢機卿アナスタシウス(のちの対立教皇。在位 855~858)を破門した。祝日は 7月17日。

レオ4世
レオよんせい
Leo IV

[生]749.1.25.
[没]780.9.8.
ビザンチン皇帝 (在位 775~780) 。コンスタンチヌス5世の子。父の死後即位し,聖像崇敬禁止政策を継承したが,妻イレネが聖像崇敬を支持したためもあり,過激な政策は避けた。 776年6歳の息子コンスタンチヌス (のちの皇帝コンスタンチヌス6世) を副帝に任命,同時に後継者に指名イサウリア朝の継続をはかった。ブルガリアのテレリク王の首都亡命を認め (776~777) ,イスラム圏へも3度遠征におもむいた (777~780) が,早世のため,その治世は過渡期的性格のものとなった。

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367日誕生日大事典 「レオ4世」の解説

レオ4世

生年月日:749年1月25日
ビザンチン皇帝(在位775〜80)
780年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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