レベラーズ(英語表記)Levellers

改訂新版 世界大百科事典 「レベラーズ」の意味・わかりやすい解説

レベラーズ
Levellers

17世紀のイギリス,ピューリタン革命期の党派。水平派と訳される。革命において1645年議会派が国王派に軍事的勝利を収めると,革命陣営の内部分裂が表面化し,議会と軍隊とが対立し,議会の内部では多数を占める右派長老派と野党的な独立派が対立し,軍隊の内部では独立派の軍幹部と兵士との対立が明らかになる。こうした情勢のなかでジョン・リルバーン,リチャード・オーバトン,ウィリアム・ウォールウィンらを指導者とするレベラーズが成立し,ロンドンの手工業者中核とするこのグループは,軍隊へも浸透した。この派の綱領である革命憲法〈人民協約〉は,基本的人権人民主権基調とするもので,近代民主主義の原理を成文化した画期的なものである。それを討議する47年の全軍会議(パトニ討論)には市民レベラーズも参加したが,〈人民協約〉は採択されないままに会議は打ち切られた。49年に独立派の支配する共和国がつくられる過程で,議会に反抗した指導者は投獄され,同調した兵士の反乱も鎮圧されてしまった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「レベラーズ」の意味・わかりやすい解説

レベラーズ
れべらーず
Levellers

イギリスのピューリタン革命期における左翼急進派。平等派、水平派ともいう。リルバーン、ウォールウィン、オーバトンなどの指導のもとに、ロンドンの民衆の支持を背景として民主主義的政治改革を主張した。しかし本来は軍隊内部の兵士を中心とした運動で、1647年、議会が給与を払わずに軍隊を解散しようとしたことに端を発している。兵士の不満と軍隊内部に強かったピューリタニズムの影響のもと、運動は即座に政治的性格を帯び、レベラーズはパトニーPutneyで開かれた軍の会議に急進的な国政改革のための「人民協定」を提出するに至る。会議では「人民協定」、ことにそれに含まれる成人男子普通選挙権をめぐって、軍幹部と兵士代表との間で激しい討論が戦わされ、軍隊内部の対立が露呈された。レベラーズは「個々のキリスト教徒が自発的に教会を形成する」というピューリタン諸教派の信仰論理を政治の論理に転化して、人間すべてが等しくもっている「生まれながらの権利」から「契約に基づく国家」を導き出したのである。軍幹部は、レベラーズの提出した問題を一時棚上げにして、議会から長老派を追放し国王を処刑するとともに、レベラーズの弾圧を決意してリルバーンら指導者を逮捕した。これに対して、レベラーズの影響下にあった一部の部隊は、リルバーンらの獄中からの呼びかけにこたえて1649年5月反乱を起こしたが鎮圧され、ここにレベラーズの運動は最終的に敗北した。(書籍版 1988年)
[小泉 徹]

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百科事典マイペディア 「レベラーズ」の意味・わかりやすい解説

レベラーズ

水平派,平等派と訳される。英国のピューリタン革命の左翼党派。ジョン・リルバーンらを指導者として,ロンドン市民・小商人・職人・小農間に組織化が進められ,議会軍の兵士層に勢力を伸ばし,1647年民主的な憲法草案(人民協定)を出して独立派と対立。一時的な妥協によって共和制を成立させたが,1649年クロムウェルの弾圧を受け,消滅。
→関連項目パトニ討論リルバーン

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旺文社世界史事典 三訂版 「レベラーズ」の解説

レベラーズ

水平派

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レベラーズ」の意味・わかりやすい解説

レベラーズ

平等派」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のレベラーズの言及

【共和制】より

…国王処刑後,イングランドは,クロムウェルの指導下に共和制を樹立する。その後,共和派内部では,独立派IndependentsとレベラーズLevellers(水平派)の対立が激化し,前者が勝利することになるが,その時期にレベラーズが,3次にわたって提出した〈人民協約Agreements of the People〉(1647)は普通選挙に基づく徹底した共和制を唱えている。またルソーは,構成員全員一致の社会契約によって成立した共同体のみを国家,共和国と呼び,一体としての人民をその主権者としたが,これは共和制理念と人民主権論との結びつきの,最も明確な理論的表現である。…

【クロムウェル】より

…45年議会軍が鉄騎隊にならって〈ニューモデル軍〉に改組されると,その副司令官に就任し,6月ネーズビーで国王軍にとどめを刺した。第1次内乱終結により議会派内部の対立が高まり,ことに下層兵士と結びついた水平派(レベラーズ)が民主主義的要求を掲げて勢力をのばすと,同年秋パトニーで討論会を主宰し妥協の道を探ったが,国王の脱走により第2次内乱となると,水平派と手を握って反革命勢力の打倒に全力をあげた。 内乱終結後,議会から長老派議員を一掃する〈プライド大佐によるパージ〉,さらに国王に対する裁判を支持し,自らも一員となった特別法廷は,国王チャールズ1世に死刑の判決を下し,49年1月処刑した。…

【パトニ討論】より

…そこで討論を通しての説得の可能性を期待した前者が,各連隊から士官2名と兵士代表2名を集めて,ロンドン郊外のパトニの教会で開いたのがこの会議である。席上,兵士代表がレベラーズの起草した,きわめて民主主義的な成文憲法案〈人民協約Agreement of the People〉を提出したため,その内容を中心に激しい討論となった。その焦点は,革命の現状認識,選挙権の範囲,国王と貴族院の存続,の3点にあり,なかでも自然権としての選挙権を主張する兵士・レベラーズに対して,軍幹部H.アイアトンは財産による制限を主張して譲らず,討論は高揚した。…

【リルバーン】より

…イギリス,ピューリタン革命期のレベラーズ(水平派)の指導者。ダラムのジェントリーの次男に生まれ,1630年ころロンドンの織物商の徒弟となった。…

※「レベラーズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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