日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロシア・フォルマリズム」の意味・わかりやすい解説
ロシア・フォルマリズム
ろしあふぉるまりずむ
Русский Формализм/Russkiy Formalizm
1910年代なかばから20年代末にかけて、ロシアで文学研究者や言語学者たちが中心となって展開した運動。文学作品を自立した言語世界としてとらえるとともに、言語表現の方法と構造の面から文学作品を解明することで、文学固有の批評原理の確立を目ざしていた。おもなメンバーとしては、「オポヤーズ」(詩的言語研究会)のシクロフスキー、エイヘンバウム、ティニャーノフ、トマシェフスキー、モスクワ言語学サークルのヤーコブソン、ボガティリョフらがあげられる。ヤーコブソンが、「文学に関する学問の対象は文学ではなくて、文学性、つまり、ある作品をして文学作品たらしめているものなのである」と述べているように、彼らは、それまでの文学研究が文化史や社会史、あるいは心理学や哲学に拠(よ)っていることに激しく反発した。文学作品のこのような自律性の強調は、当時の未来主義者のザーウミ(超意味言語)による詩、キュビスムの絵画などと軌を一にするものであり、「何が」書かれているかではなく、「いかに」書かれているかが、まず問題であった。またシクロフスキーは、芸術の目的は事物を異化・非日常化することにあり、芸術の手法は知覚を困難にし長引かせることにあるとも述べている。いわゆる内容ではなく、こうした手法への着目は、当初、言語学との緊密な結び付きをもたらし、日常言語と区別された詩的言語の研究が活発に進められた。具体的な成果としては、詩の分野に関するものが多いが、散文に関してもプロット構成の手法、語り、パロディーなどの面で注目すべきものが少なくない。シクロフスキーやティニャーノフの文学史論、さらにはプロープの『昔話の形態学』(1928)も見逃せない。
初期に特徴的であった宣言めいた過激な主張は、やがてティニャーノフ、ヤーコブソンらの著作を通して、他の文化系列、生活系列、社会系列との関係をも組み入れたものに変わってゆく。しかし、そのような変化も、1920年代なかばから激しさの度を増していった「反マルクス主義である」との批判、非難についに抗しきれず、挫折(ざせつ)を余儀なくされている。このフォルマリズム狩りは、のちに映画、演劇、音楽にも及んでゆく。しかしロシア・フォルマリズムの成果は30年代後半のプラハ構造主義に批判的に継承されるとともに、やがて60年以降の構造主義、記号学の発達のなかで、世界的に注目を集めることになる。また当のロシアでもペレストロイカ後は、再評価の作業が着実に進められてきている。
[桑野 隆]
『桑野隆・大石雅彦編『ロシア・アヴァンギャルド6・フォルマリズム(詩的言語論)』(1988・国書刊行会)』