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アメリカの画家。ロシアのドビンスク(現,ダウガフピルス)に生まれ,10歳のときに渡米。イェール大学およびアート・スチューデンツ・リーグに学ぶ。1935年ゴットリーブAdolph Gottlieb(1903-74)と表現主義的傾向のグループ〈ザ・テンThe Ten〉を設立。はじめはフォービスムないしキュビスム的な,一種の表現主義的な絵を描き,次いで40年代前半にかけて,シュルレアリスムとでも呼ぶべき作風になる。40年代半ばころからは,たて長の画面に大きな矩形が浮遊する,息づくような独自の平面絵画を実現してゆく。はじめは赤系統の色彩が勝っていたが最晩年は黒や灰色が多くなり,感覚的なものから精神的なものまでを包含する作品を制作し,戦後絵画を代表する画家の一人となった。また生涯にわたって美術教育にたずさわった。動機は特定できないが70年2月剃刀で腕を切り,自殺した。死後,ヒューストンにロスコの絵で飾られた〈ロスコ・チャペル〉が完成した。抽象表現主義作家の一人に数えられることが多いが,彼自身はそうみなされることを好まなかった。
執筆者:千葉 成夫
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アメリカの抽象画家。ロシアのドビンスクに生まれる。1913年に家族とともに合衆国のオレゴン州ポートランドに移住し、その後、エール大学とアート・スチューデンツ・リーグに学んだ。29年から作品を発表し、36~37年には連邦美術計画の仕事に従事。初期にはシュルレアリスムの影響を受けた作品を制作したが、第二次世界大戦後、独自の作風を確立して抽象表現主義の代表的画家となった。単純で普遍的な形態を追求したその絵画は、大きなカンバスの内側を四角形や帯状の矩形(くけい)でくぎった色面構成からなり、芒洋(ぼうよう)とした広がりと瞑想(めいそう)的な静けさをたたえている。
[石崎浩一郎]
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