ロッシ(Aldo Rossi)(読み)ろっし(英語表記)Aldo Rossi

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ロッシ(Aldo Rossi)
ろっし
Aldo Rossi
(1931―1997)

イタリアの建築家。ミラノに生まれる。1959年ミラノ工科大学大学院建築学科修了、同年自らの建築設計事務所を開設。在学中から建築雑誌『カサベラ』Casabellaの編集に携わる(1955~1964)。べネチア大学建築学部都市計画学科助手、同建築学科助手を経て、1965年ミラノ工科大学助教授、1968年同教授。1975年にベネチア大学教授。1990年プリツカー賞受賞。1997年ミラノで交通事故により死去

 ミラノ、べネチアなどイタリア北部の歴史的な都市に、古典建築の要素、すなわちペディメント(古代ギリシア、ローマ建築にみられる三角形の切妻壁)やコラム(円柱)をシンプルな幾何学形態の構成にアレンジした、モニュメンタルな建築作品をつくり続けた。

 1976年のベネチア・ビエンナーレに出品した「類推的都市」は、ピラネージの描いた都市をはじめとするさまざまな時代の都市図とロッシの設計した建築のコラージュで、建築の歴史は過去の様式を解釈したものであり、都市は建築の歴史の集団的な記憶の累積であるというロッシの建築論、都市論の表現でもある。ロッシはこのような都市に現代の建築を付加するとき、論理的な思考によるのではなく、記憶の断片がランダムに紡(つむ)がれる夢のような思考方法が有効であるとする。

 ロッシのこのような思想に基づいた作品は、レジスタンス慰霊碑(1965、ミラノ郊外)やサンカタルド共同墓地(1971、モデナ)、あるいは世界劇場(1979、ベネチア)などである。だが、ロッシの作品はモニュメンタルな建築だけではない。ガララテーゼ集合住宅(1973、ミラノ郊外)やオローナ小学校(1975、ロンバルディア州)など日常的な建築も多い。

 1960年代後半、ジョルジョ・グラッシGiorgio Grassi(1935― )、ジャンカルロ・デ・カルロGiancarlo de Carlo(1919―2005)らとラショナリズム合理主義)論を主張する建築家グループ、テンデンツァを結成。テンデンツァは、インターナショナル・スタイル(機能主義を特徴とする1920年代以降の建築様式。ヘンリー・ヒッチコックHenry Russell Hitchcock(1903―1987)とフィリップ・ジョンソンにより提唱された)とは対照的に、複雑な織物のようなイタリアの歴史的都市のなかから建築の原形をとらえようとしていた。その対象には公共建築や宗教建築だけでなく民家などバナキュラー(土着的)な建築も含まれていた。ロッシはそこから抽出された原形をそれ以上単純化できない建築の類型(タイポロジー)とし、繰り返し自分の建築に適用、都市にまつわるあいまいな集団的記憶を具体的な建築の確固としたフォルムによって現前させようとした。

 イタリア以外における代表的な作品としては、ベルリンIBA集合住宅(1988)、ホテル・イル・パラッツォ(1989、福岡県)、浅葉克己(あさばかつみ)デザイン事務所(1990、東京都)、アンビエンテ・インターナショナル(現、ジャスマック青山。1991、東京都)、アピタ当知(とうち)(商業施設。1991、名古屋市)、イル・サローネ(遊技施設。1995、茨木(いばらき)市)、ホテル・イルモンテ(1997、大阪市)、門司(もじ)港ホテル(1999、北九州市)など、日本での作品も多い。

 おもな著書に『都市の建築』L'Architettura della Città(1966)、『アルド・ロッシ自伝』A Scientific Autobiography(1981)などがある。

[鈴木 明 2018年12月13日]

『「類推的建築」(『a+u』1976年5月号所収・エー・アンド・ユー)』『『アルド・ロッシ』(『a+u』1982年11月臨時増刊号・エー・アンド・ユー)』『三宅理一訳『アルド・ロッシ自伝』(1984・鹿島出版会)』『福田晴虔・大島哲蔵訳『都市の建築』(1991・大龍堂書店)』

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