ローエル(英語表記)Percival Lowell

デジタル大辞泉 「ローエル」の意味・読み・例文・類語

ローエル(Lowell)

ローウェル

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改訂新版 世界大百科事典 「ローエル」の意味・わかりやすい解説

ローエル
Percival Lowell
生没年:1855-1916

アメリカ天文学者。1876年ハーバード大学を卒業後,富裕な実業家として東洋に旅行し,主として日本に滞在(1877-93),《極東の魂》(1888)を著す。朝鮮にも渡りアメリカ大使館付顧問を務めた。帰国後C.フラマリオンの火星の人工運河説に触発され,火星の観測をみずから行うべく,94年アリゾナ州の空気の澄んだ高度2200mのフラグスタフに私設のローエル天文台を設立し,名門クラーク社製の60cm屈折望遠鏡によって火星の観測に専心した。そして1906年《火星と運河》,09年《生命の住む火星》を著し,高等な文明をもつ火星人の存在を信じた。また海王星の外の惑星の存在を信じてその発見に努力したが,こちらのほうはずっと後,30年になって同天文台でC.W.トンボーが冥王星を発見した。ローエル天文台は現在惑星観測の重要なセンターとなっている。なお冥王星を表す符号はパーシバル・ローエルの頭文字P,Lの組合せである。
執筆者:

ローエル
Lowell

アメリカ合衆国マサチューセッツ州北東部の工業都市。人口10万3111(2005)。1822年メリマック河畔のこの土地にボストン商人たちが木綿工場を建設,その後アメリカ木綿工業の中心地として栄えた。ローエルという名も,商人たちの指導者であった織物業者F.C.ローエルにちなんでつけられたものである。ローエル工場では,労働力として近隣農村の婦女子を雇用した。女工たちは寄宿舎に住んだが,その建物は清潔で,集会室や応接室もあり,窓辺には花が飾られた。女工たちは日曜日には教会に行き,講堂で講演を聴いたり,図書室で文学作品に親しんだりした。しかし労働は長時間であったので,1834年には有名なストライキが起こっている。木綿工業は1920年代まで盛んであったが,しだいにこの産業の中心は南部へ移り,現在はエレクトロニクスプラスチックなど各種の製造業が発達している。
執筆者:

ローエル
Francis Cabot Lowell
生没年:1775-1817

アメリカの企業家。マサチューセッツ州に生まれ,ハーバード大学卒業ののち叔父の営む商社に入り貿易商人となった。1810年イギリス旅行のおり,目のあたりに見た産業革命の成果,なかんずく木綿工場で稼働する力織機の威力に感動し,それをアメリカに導入しようと考えた。機械類の輸出禁止という法の目をくぐるため,力織機のメカニズムを記憶し12年に帰国,おりから勃発した第2次英米戦争による貿易途絶という状況の中で,粗綿布の大量生産を目的とする企業を創設した。ウォルサムに建設された工場では,彼の記憶をもとに復元された力織機が設置され,効率を高めるため紡績と織布の両工程が統合されたほか,規律正しい寄宿舎制度によって女工の品位を保つよう配慮がなされていた。なお,この種の工場制度は,水力紡績機の導入で知られるS.スレーターの流れをくむ工場制度としばしば対比され,ウォルサム型工場として知られる。
執筆者:

ローエル
Robert Lowell
生没年:1917-77

アメリカの詩人。ボストン生れ。同じ家系にジェームズ・ラッセル,エーミーの両詩人をもつ。古典的手法によって,戦争と恩寵喪失のアメリカ社会を痛弾した詩集《懈怠(けたい)卿の城》(1946)でピュリッツァー賞を受賞。その後,《人生研究》(1959)では,W.C.ウィリアムズの唱えたアメリカ語法を採用し,散文性を織りまぜたスタイルを用いて,家族の肖像画と自身の病める姿を彫りの深いアイロニカルな言葉で創造した。この詩集は,詩人アレン・ギンズバーグとともに若い詩人に大きな影響を与えた。1960年代には政治活動にも身を投じたが,ベトナム反戦行進の際の詩人としての行動は,ノーマン・メーラーの《夜の軍隊》で活写された。大作《歴史》(1973)は,神話時代から現代にいたる〈ヒーロー〉の破壊的衝動を点描し,それが作者自身にも及ぶさまを重厚なスタイルでつづった。
執筆者:

ローエル
James Russell Lowell
生没年:1819-91

アメリカの批評家。若いころは《ビッグロー・ペーパーズ》第1集(1848)などにより奴隷廃止を叫ぶ社会派詩人および論客として知られたが,本質的には民主的な保守主義者。社会の健全な良識を求めた彼は,ルソー,サン・ピエール,シャトーブリアンらのロマン主義思想を病的センチメンタリズムとして否定し,ソローを病的自意識のエゴイストと罵倒した。そのような主張をもつ文章を多数雑誌に発表し,のちに《本の中で》(1870)や《わが書斎の窓》(1871)にまとめたが,個人の孤独な思想と大衆社会とのバランスを追求したローエルの文学は,今日の社会にも多くを問いかけている。
執筆者:

ローエル
Amy Lawrence Lowell
生没年:1874-1925

アメリカの詩人。マサチューセッツ州の名門の出身。1910年代に始まったイマジズム運動に積極的に参加し,それを推進したことで有名だが,《多くの色ガラス丸天井》(1912)という処女詩集からして誤読されるという不幸を経験した。日本の俳句や版画の影響を受けた珠玉の作品があるが,彼女の超越的な面はもっと評価されてしかるべきである。詩のほかに評伝《キーツ伝》(1925)がある。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ローエル」の意味・わかりやすい解説

ローエル
Lowell, James Russell

[生]1819.2.22. マサチューセッツ,ケンブリッジ
[没]1891.8.12. マサチューセッツ,ケンブリッジ
アメリカの詩人,批評家。名門の出身で,ハーバード大学卒業後,詩作を始め,1844年詩人で奴隷解放論者のマライア・ホワイトと結婚。その後は彼女の影響下に熱心な奴隷解放論者として活躍,メキシコ戦争を風刺した詩集『ビグロー・ペーパーズ』 Biglow Papers (1848,67) ,中世の騎士を主題にした詩『サー・ローンファルの夢』 The Vision of Sir Launfal (48) ,韻文による作家論『批評家のための寓話』A Fable for Critics (48) などを発表。夫人の死 (53) 以後は,思想的にも保守性を強め,また詩作からも遠ざかった。 55年ロングフェローのあとをうけてハーバード大学教授に就任,そのかたわら『アトランティック・マンスリー』誌の初代編集長 (57~61) ,次いで『ノース・アメリカン・レビュー』誌の編集にあたった。 77~80年スペイン駐在公使,80~85年イギリス駐在大使を歴任。その他の著書にエッセー集『わが書籍の間に』 Among My Books (2巻,70,76) ,『わが書斎の窓』 My Study Windows (71) などがある。

ローエル
Lowell, Robert

[生]1917.3.1. ボストン
[没]1977.9.12. ニューヨーク
アメリカの詩人。ボストンの知的名門の生れで,ハーバード大学に学んだが,ケニヨン大学に移り J.C.ランサムに師事,1940年卒業と同時に小説家ジーン・スタフォードと結婚,カトリックに改宗した。また第2次世界大戦中には徴兵忌避をして投獄されたこともある。その詩は暗くきびしい倫理的な真摯さと強く豊かなリズムできわだっており,詩集に『神に似ざる土地』 Land of Unlikeness (1944) ,『ウィアリー卿の城』 Lord Weary's Castle (46,ピュリッツァー賞) ,『伝記習作』 Life Studies (59,全米図書賞) ,『北軍戦死者に捧ぐ』 For the Union Dead (64) ,『海のほとり』 Near the Sea (67) ,『ノートブック,1967~68年』 Notebooks 1967-68 (69) など。ほかに翻訳,翻案詩を集めた『模倣』 Imitations (61) ,メルビル,ホーソーンの短編に取材した3部作の詩劇『往時の栄光』 The Old Glory (64初演) がある。

ローエル
Lowel, Amy

[生]1874.2.9. マサチューセッツ,ブルックライン
[没]1925.5.12. マサチューセッツ,ブルックライン
アメリカの女流詩人。 J.R.ローエルらを輩出した知的名門の出身。 1913年イギリスでパウンドと出会って以来,イマジズムに心ひかれて,この新詩運動のアメリカにおける重要な推進者として活躍,特に強烈な個性のために影響力が大きかった。 1910年から死ぬまでの間に約 600編の詩を残したが,代表的な詩集に,『男と女と幽霊』 Men,Women,and Ghosts (1916) ,散文詩『カーン・グランデの城』 Can Grande's Castle (18) ,浮世絵や短歌から示唆を受けたユニークな詩集『浮世絵』 Pictures of the Floating World (19) ,『いま何時?』 What's O'Clock (25) などがあり,ほかに韻文による批評集『批評的寓話』A Critical Fable (22) ,すぐれた評伝『ジョン・キーツ』 John Keats (2巻,25) がある。

ローエル
Lowell, Abbott Lawrence

[生]1856.12.13. ボストン
[没]1943.1.6. ボストン
アメリカの政治学者,教育家。ハーバード大学卒業後,ボストンで法律実務に就いたが,1897年ハーバード大学講師,1900年行政学教授,09年 C.エリオットのあとをうけて総長。エリオットが推進したカリキュラムの自由選択制の行過ぎを改め,チューター制度を導入し,財政を再組織するなど諸改革を実施,33年までの在任中にハーバード大学は学生数,学部数が倍加するにいたった。ヨーロッパ諸国の政治制度に関する著作のほか,『カレッジ学長の学んだもの』 What a College President Learned (1938) ,『アメリカの学術的伝統との闘い』 At War with Academic Tradition in America (43) などがある。

ローエル
Lowell, Percival

[生]1855.3.13. ボストン
[没]1916.11.12. フラグスタッフ
アメリカの天文学者。ハーバード大学卒業後,実業界に入り,『朝鮮』 Chosön (1886) ,『能登』 Noto (91) ,『神秘の日本』 Occult Japan (95) などの紀行文で東洋旅行家として知られていたが,1890年代に火星の運河説に刺激されて天文学に興味をもち,アリゾナにローエル天文台を造った。火星には知的生物が存在すると唱えて話題を呼んだ。また天王星の運行の数学的研究から海王星以外の星の存在を予測したが,彼の死後 14年たった 1930年に冥王星が発見された。主著『海王星の揺れ方についての論考』 Memoir on a Trans-Neptunian Planet (1915) 。

ローエル
Lowell

アメリカ合衆国,マサチューセッツ州北東部の工業都市。古くからメリマック川の水力を利用して工業が発達したが,特に 19世紀には紡績工業が栄え,アメリカのマンチェスターと呼ばれた。近年は電機,プラスチック,軽金属,化学製品,電子部品,人工ゴム,機械部品工業が発達。州立教員養成大学,市立病院,市立図書館などがある。人口 10万6519(2010)。

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百科事典マイペディア 「ローエル」の意味・わかりやすい解説

ローエル

米国の女性詩人。J.R.ローエルの傍系親族。1913年パウンドらのイマジズム運動を知って英国に渡り,パウンドの去った後その推進者となる。詩集《男と女と幽霊》《何時ですか》などがあり,視覚的イメージの造形に秀でる。ほかにフランスと米国の詩に関する評論もある。

ローエル

米国の批評家,詩人。マサチューセッツ州ケンブリッジの名家出身。ハーバード大学を卒業し弁護士の資格を得るが,詩作を好み,1844年詩人マライア・ホワイトと結婚してからはその影響で奴隷解放運動にも尽力し,風刺詩《ビッグロー・ペーパーズ》(第1集1848年,第2集1867年)を書く。のちヨーロッパで研究,1855年母校の教授,1857年《アトランティック・マンスリー》初代編集長,1880年―1885年ロンドン公使を歴任した。
→関連項目ローエル

ローエル

米国の天文学者。初めは実業家,外交官として活躍,のち天文学に転向。1894年アリゾナ州に私設のローエル天文台を設立,惑星,特に火星面の観測につとめ,火星人の存在を主張。また,海王星外の未知惑星を予想したが,これは死後の1930年,同天文台でC.W.トンボーが冥王星として発見。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ローエル」の意味・わかりやすい解説

ローエル
ろーえる
Lowell

アメリカ合衆国、マサチューセッツ州北東部の都市。メリマック川とコンコード川の合流地点に位置する。人口10万5167(2000)。ポタケット滝の水力を利用して、早くから繊維工業がおこり、19世紀には「繊維の町」として世界的にその名を知られたが、1929年の世界大恐慌によって衰退し、その地位を南部に奪われた。しかし、その後は工業の多種化に成功し、電子・電気機器、靴、ゴム、プラスチック、食品、金属機械など工業都市としての地位を確立した。1653年に定住が始まり、1836年より市制が施行された。ローエル大学(1895創立)の所在地でもある。

[作野和世]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ローエル」の解説

ローエル Lowell, Percival

1855-1916 アメリカの天文学者。
1855年3月13日生まれ。明治10年(1877)来日,各地を旅行して日本文化の研究にあたり,「能登」「極東の魂」をあらわした。26年帰国。のち私財を投じてローエル天文台を建設,火星の観測に専念し,冥王星の存在を予言した。1916年11月12日死去。61歳。ボストン出身。ハーバード大卒。

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世界大百科事典(旧版)内のローエルの言及

【宇宙人】より

…フランスの学者フォントネルが《世界の多数性》(1686)において,他の惑星にも生命が存在しうると論じ,天体観測の進歩とともに,宇宙人への関心は少しずつ高くなっていった。1835年に新聞《ニューヨーク・サン》が大望遠鏡による月人観測のうそ記事を掲載して大騒ぎとなり,77年にG.V.スキャパレリが火星の筋模様を発見し,P.ローエルが《火星》(1895)という本でそれを運河であると主張してからは宇宙人の存在に関する議論が絶えることはなくなった。それも長い間火星人に関心が集中し,H.G.ウェルズが《宇宙戦争》(1898)において,重力と酸素量の関係で〈タコ型〉の火星人を想像してからは,この形の宇宙人が人々に親しまれるようになった。…

【ギューリック】より

…熊本,松山,大阪などで宣教活動をした後,1906年から同志社教授,京都大学講師として神学その他を教え,13年に帰国した。滞日25年間の知識を生かし多くの日本論を著したが,なかでも《日本人の進化》(1903)はP.ローエルの《極東の魂》(1888)に対抗し,日本人の〈進化〉を合理的に解明しようとしている。帰国後《日系アメリカ人の問題》(1914)などでアメリカ人の排日的態度を批判,極東の平和と友好にもキリスト教会の立場から尽力し続けた。…

【日本研究】より

…この書には,封建制度の廃止によってつくられた〈新日本〉への賞賛とともに,その〈新日本〉の民主主義化,キリスト教化を強く望む,牧師志願の若者らしい啓蒙的な態度が見られる。1880年代から,天文学者のP.ローエルの《極東の魂》(1888)や,それにひかれて来日したL.ハーンの《知られざる日本の面影》(1894),《こころ》(1896)など,日本の異国性,エキゾティシズムを強調した研究が続出した。その後,日本の神秘性や不可思議さにとらわれすぎているとしてローエルに反論した研究に,進化論の立場から近代日本の社会制度を解明しようとしたS.L.ギューリックの《日本人の進化》(1903)と,ローエルに〈承服しかねる〉ものを見いだした晩年のハーンの《神国日本》(1904)がある。…

※「ローエル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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