ワイアット(英語表記)Thomas Wyatt

改訂新版 世界大百科事典 「ワイアット」の意味・わかりやすい解説

ワイアット
Thomas Wyatt
生没年:1503?-42

イギリスの詩人。ケンブリッジ大学卒業後,宮廷に入り,やがて外交官としてヨーロッパ各地におもむいた。イタリアを中心とするルネサンスいぶきをイギリスに伝えた功績は大きい。とりわけペトラルカソネットの翻訳や翻案からはじめて,イギリス・ルネサンスの抒情詩の隆盛の先駆けとなった点では,サリーと肩を並べるとされる。しかし近年ではむしろワイアットの側に独創性や強い個性を見る傾向が強い。ヘンリー8世によって2度投獄され,なかでも王妃アン・ブーリンの愛人であったとする嫌疑をかけられた事件はよく知られるが,当時の宮廷の身分上の不安定さを語るエピソードであろう。幾編かの詩はアンとの交情をうたったものとする説もあるが,宮廷恋愛の共通のテーマを扱ったものである。ルネサンス初期の英詩らしく,韻律の洗練には欠けるが,劇的効果をひそめた抒情詩群である。
執筆者:

ワイアット
John Wyatt
生没年:1700-66

イギリスの発明家リッチフィールドの近郊に生まれる。初め大工(指物師)を営むが,金属のせん孔旋盤の発明など機械の改良・くふうに才を発揮した。綿紡績においては,梳綿(そめん)過程ののち粗紡,精紡をおこない糸を作るが,その過程は引伸し,撚(よ)りかけ,巻きとりの三つである。それまでの紡車が,人間の手で粗糸を引き伸ばす作業を必要としていたのに対し,ワイアットは,1対のローラーの間を引っ張りながら糸を引きだすことにより,糸の引伸し工程の機械化を計画し,1733年に模型での試作に成功。L.ポールの協力をえて,38年にはポールの名で特許出願をしている。この発明は,後のアークライトのウォーター・フレームにつながる画期的なものであったが,事業としての成功はみなかった。
執筆者:

ワイアット
James Wyatt
生没年:1746-1813

イギリスの建築家一族ワイアット家の代表的人物。スタフォードシャー生れ。ベネチアで建築を修め(1762-68),帰国後壮大なドームをもつパンテオンロンドン,1772)の設計で一躍脚光を浴びた。《ヒートン・ホール》(マンチェスター近郊,1772),《ヘブニンガム・ホール》(サフォーク,1799)など古典様式のカントリー・ハウスを設計する一方,フォントヒル・アベー(ウィルトシャー,1807)などではゴシック様式を用い,〈ピクチュアレスク〉な表現を志向し,アダム兄弟やチェンバーズWilliam Chambersをしのぐ名声を得る。大聖堂の修復も手がけたが,様式的な不正確さが目だち,のちにピュージンらから〈破壊者〉と批判された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワイアット」の意味・わかりやすい解説

ワイアット
Wyatt, Sir Thomas

[生]1503. メードストン近郊アリントン
[没]1542.10.6. シャーバン
イギリスの詩人,外交官。Wyatとも記す。ヘンリー8世に重用され,外交使節として大陸諸国に派遣された。王妃アン・ブリンとのかつての関係から,またトマス・クロムウェルの同調者として 2度投獄された。イタリア詩を翻訳してソネット形式を初めてイギリスに紹介,二行連句で終わるイギリス風のソネットを創始し,サリー伯とともにエリザベス朝抒情詩の先駆者となった。しかし最高の作品は,イギリス詩本来の語法で書かれた,やや不規則な韻律の抒情詩である。個性が強く出ていることも当時としては異例で,各種の作品 96編が,死後,『トトル詩選集』Tottel's Miscellany(1557)に収められた。

ワイアット
Wyat, Sir Thomas, the Younger

[生]1521頃
[没]1554.4.11.
イギリスの軍人,反乱指導者。ケントの豪族の出。 1543年より数年間,フランスその他大陸で軍務に服し,帰国後,51年ケント長官。 53年メアリー1世とスペインのフェリペ2世の結婚に反対する反乱を計画し,翌年2月 3000の軍勢を率いてロンドンに迫ったが,失敗し処刑された。メアリーを廃位して J.グレーを即位させる計画であったため,グレーは夫とともに処刑され,王女エリザベス (のちのエリザベス1世 ) も連座の疑いでロンドン塔に投獄された。

ワイアット
Wyatt, James

[生]1746.8.3. バートンコンスタブル
[没]1813.9.4. マールバラ近郊
イギリスの建築家。早くから才能を認められてイタリアに留学 (1762~68) ,帰国後まもなくロンドンのパンテオン (72,1937解体) を設計し一躍名声を博した。初め古典主義的様式を好み,ヒートン邸 (1772) ,オリエル・カレッジ図書館 (88) などを設計。のちゴシック様式に向い,フォントヒル・アベイ (96~1807) ,アシュリッジ・パーク (06~13) などを建てた。ソールズベリー大聖堂など多数の聖堂や宮殿などの修復や改修にもたずさわったが,考古学上の不正確さから「破壊者ワイアット」とも呼ばれた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「ワイアット」の意味・わかりやすい解説

ワイアット

英国の詩人。外交官としてスペイン,イタリアなどに滞在。ヘンリー8世妃との関係を疑われて投獄されたこともある。外国文学の研究者で,ペトラルカソネット形式を英詩に移植した功績で知られる。作品は《トトル編詩華集》(1557年)にまとめられた。

ワイアット

英国の発明家。初め指物(さしもの)師。L.ポールとともに紡績機の改良に従い,1738年ローラ延伸を採用した紡績機の特許を得た。この機械はのちジェニー機や水力紡績機にとって代わられたが,産業革命における紡織機械の変革の起点をなすものとされている。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のワイアットの言及

【はかり(秤)】より

…1669年にフランスのロベルバルG.P.Roverbalが考案したロバーバル機構をはかりに利用し,かさ物の計量に便利な上ざら式のはかりが1700年代に開発された。また重量物の計量に適するてこの組合せ機構がイギリスのワイアットJ.Wyattにより発明され,1831年にアメリカのフェアバンクスFairbanks兄弟は現在のものと同一の台ばかりを発明し,はかりの機能を飛躍的なものにした。同じころ,メートル条約にかかわる基礎技術が整備され,この中でキログラム原器との比較用の専用てんびんであるリュプレヒトRüprechtてんびんが開発され,精密さが1×10-8にも達した。…

【はかり(秤)】より

…1669年にフランスのロベルバルG.P.Roverbalが考案したロバーバル機構をはかりに利用し,かさ物の計量に便利な上ざら式のはかりが1700年代に開発された。また重量物の計量に適するてこの組合せ機構がイギリスのワイアットJ.Wyattにより発明され,1831年にアメリカのフェアバンクスFairbanks兄弟は現在のものと同一の台ばかりを発明し,はかりの機能を飛躍的なものにした。同じころ,メートル条約にかかわる基礎技術が整備され,この中でキログラム原器との比較用の専用てんびんであるリュプレヒトRüprechtてんびんが開発され,精密さが1×10-8にも達した。…

※「ワイアット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android