ワレル(英語表記)Wareru

改訂新版 世界大百科事典 「ワレル」の意味・わかりやすい解説

ワレル
Wareru
生没年:?-1296

ビルマで栄えたペグー朝(1287-1539)の創始者。在位1287-96年。成人前の名前はマガドゥー。タイではモガドと呼ばれる。タトン地方ドンウン村の出身。父はキンマ行商人の元締めをしていた。20歳のときタイのスコータイに出かけ王の象使に仕えたが,働きぶりを認められて国王の司厨長,次いで近衛隊長に抜擢された。やがて王女と恋仲となって郷里に駆落し,1231年,マルタバンビルマ族太守アレインマを殺害してその地の支配者となった。ペグーの太守タラビャーには妹を嫁がせて提携したが,ビルマ族のペグー遠征を撃退した後不仲となり,タラビャーを殺害して下ビルマ全域を手中におさめ,87年ペグー朝を創始した。晩年は平穏な生活を送ったが,96年タラビャーの遺子2人によって殺された。現存するビルマ(ミャンマー最古法典ワレル・ダンマタ》の編纂者としても知られる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワレル」の意味・わかりやすい解説

ワレル
Wareru

[生]?
[没]1296
ビルマ,ペグー朝第1代の王 (在位 1281~96) 。タイのスコータイ朝に仕えたが,その王ラーマカムヘーンの一王女とともに出奔し,1281年パガン朝のマルタバン領主スレイマンを殺して自立した。 87年には先に自立していたペグー領主タラビャーをも殺して下ビルマからテナセリムにいたる地域を支配した。ビルマに現存する最古の成文法典『ワレル・ダンマタ (ワレルの法典) 』を編纂し,後世ビルマ法典の基礎を築いた。

ワレル
Waller, Max

[生]1860.2.24. ブリュッセル
[没]1889.5.6. シントギリス
ベルギー詩人。本名 Maurice Warlomont。フランス語で書く。ベルギー文芸復興の主要な作家たちを糾合し,『ラ・ジューヌ・ベルジック (若きベルギー) 』 La Jeune Belgique誌を創刊 (1881) 。死後,軽妙な味の詩集『シーベルのフルート』 La Flûte à Siebel (1891) と小説デージーDaisy (1892) が公にされた。

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