朝日日本歴史人物事典 「一竜斎貞山(3代)」の解説
一竜斎貞山(3代)
生年:天保6(1835)
幕末明治期の講釈師。本名内山孝七。大頭のところからあだ名して頼朝公。初代伊東潮花に入門して花林。しかし訥弁で見込みなしと宣告され2代目貞山門に転じ,初代貞吉となって真打に昇進した。明治7(1874)年師が40歳前の若さで亡くなり3代目を襲名,講談組合の大看板のひとりに数えられた。「伊賀の水月」(「荒木又右衛門」)をはじめ「義士伝」「黒田騒動」「石山軍記」などが得意で,お家物とした。18年門下の初代貞丈に4代目を譲り,初代錦城斎一山と改名した。昭和10(1935)年に没した有名な3代目錦城斎典山も,この3代目貞山の門人。この名跡は平成までに8代を数える。<参考文献>野村無名庵『本朝話人伝』
(吉沢英明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報