世界大百科事典(旧版)内の七・一五事件の言及
【中華民国】より
… 武漢の左派勢力は蔣介石の裏切りを声高に叫んだが,その裏では国民党と共産党の対立がしだいに明確になっていった。地主の土地没収をめぐっての意見の分岐が軍事的対決にまで進み,やがて7月,武漢の国民党も〈分共〉という名の共産党粛清にふみきった(七・一五事件)。この間,スターリンの指導するコミンテルンは,国民党左派から離れることなく,しかも独自の労農武装を組織せよ,との実行不可能な指令(五月指示)を出して混乱を深めた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」