精選版 日本国語大辞典 「万寿寺」の意味・読み・例文・類語
まんじゅ‐じ【万寿寺】
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神子禅師の像(木彫)は現在福岡県久留米市の
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京都市東山区本町の東福寺北総門内にある臨済(りんざい)宗東福寺派の寺。草創は白河(しらかわ)上皇が皇女郁芳(いくほう)院藤原媞子(ていし)の追善のために、1097年(承徳1)その遺宮(下京(しもぎょう)区万寿寺通高倉付近)を仏寺として六条御堂(ろくじょうみどう)と称したことに始まる。その後、正嘉(しょうか)年間(1257~59)堂に住していた十地覚空(じゅうちかくくう)・東山湛照(とうざんたんしょう)の師弟2人が東福寺開山円爾弁円(えんにべんえん)に帰依(きえ)してのち、禅寺となり万寿寺と改称する。1340年(興国1・暦応3)五条樋口(ひぐち)に移って十刹(じっせつ)の一つに、1386年(元中3・至徳3)には京都五山の第五に列したが、1434年(永享6)の火災後衰え、天正(てんしょう)年間(1573~92)東福寺山内に移った。
[平井俊榮]
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京都市東山区にある臨済宗東福寺派の寺。東福寺北門内にある。開山は十地上人覚空(爾一)・東山湛照(とうざんたんしょう)(慈一宝覚)の2人。前身は,1097年(承徳元)に白河天皇皇女の郁芳門院媞子(ていし)内親王の遺宮を仏寺に改めた六条御堂。正嘉年間(1257~59)に覚空と湛照が円爾(えんに)に帰依して六条御堂を禅寺とした。1386年(至徳3・元中3)五山となる。天正年間(1573~92)に東福寺山内の三聖寺の地に移った。阿弥陀如来座像(重文)がある。
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…鎌倉五山に対し,京都にある臨済宗の大禅刹,すなわち南禅寺・天竜寺・相国(しようこく)寺・建仁寺・東福寺・万寿寺をいう。中国南宋代の五山官寺制度が,日本に移植されたのは鎌倉時代末期のことで,はじめは建長寺・円覚寺など鎌倉の大禅刹をもって五山としていた。…
※「万寿寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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