万寿寺(読み)まんじゅじ

精選版 日本国語大辞典 「万寿寺」の意味・読み・例文・類語

まんじゅ‐じ【万寿寺】

京都市東山区本町にある臨済宗東福寺の塔頭の一つ。山号は京城山。永長二年(一〇九七)、白河上皇が創建した六角御堂に始まる。正嘉二年(一二五八)、万寿禅寺改称。開山は十字覚空と東山湛照。至徳三年(一三八六)、京都五山の第五位に列せられた。六条御堂

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デジタル大辞泉 「万寿寺」の意味・読み・例文・類語

まんじゅ‐じ【万寿寺】

京都市東山区の東福寺内にある臨済宗の寺。山号は、京城山。永長2年(1097)白河上皇が皇女藤原媞子の遺宮を仏寺として六条御堂と称したのに始まる。正嘉年間(1257~1259)に禅寺となり、万寿寺と改称。京都五山の第五位であったが、その後衰え、天正年間(1573~1592)東福寺山内に移った。

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日本歴史地名大系 「万寿寺」の解説

万寿寺
まんじゆじ

[現在地名]伊賀町柘植

柘植つげ川左岸山出やまで集落内にあり、東側に福地ふくち城跡がある。山号徳雲山、本尊延命地蔵菩薩、曹洞宗。昭和七年(一九三二)本堂を焼失したが、焼失前の棟札に「天和二年徳雲山長福寺再建、建立檀越冨田彦六 中江浄林居士、上柘植惣中」と記されてあり、「伊水温故」に「徳雲山長福寺」とあり、以前長福ちようふく寺を称していた。宝暦一三年(一七六三)成立の「三国地志」に「万寿寺徳雲山」と記すから、寺号改称の時期は「伊水温故」成立の貞享四年(一六八七)以後宝暦一三年以前であろう。

万寿寺
まんじゆじ

[現在地名]大和町大字川上字水上

川上かわかみ渓谷のさらに西側の山間に位置し、正しくは水上山興聖万寿寺、通称水上みずかみのお不動さんとよばれる。臨済宗南禅寺派で、開山は神子栄尊。本尊は栄尊作と伝える不動明王で、仁治元年(一二四〇)の創建という(神子禅師年譜)

神子禅師の像(木彫)は現在福岡県久留米市の朝日あさひ寺にあり、嘉元二年(一三〇四)の胎内銘がある。彼の頂相をもとにして写されたと伝える絹本著色の画像が万寿寺に残る。高城こうじよう寺の開山順空(円鑑)は万寿寺の三世である。神子の開山以前、水上山に真言宗の道場があったと伝えるが、実相じつそう院が近いことから当然考えられることである。建武二年(一三三五)の雑訴決断所牒(河上神社文書)によれば、河上神社の政所給田をめぐって同社と万寿寺とが争っている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「万寿寺」の意味・わかりやすい解説

万寿寺
まんじゅじ

京都市東山区本町の東福寺北総門内にある臨済(りんざい)宗東福寺派の寺。草創は白河(しらかわ)上皇が皇女郁芳(いくほう)院藤原媞子(ていし)の追善のために、1097年(承徳1)その遺宮(下京(しもぎょう)区万寿寺通高倉付近)を仏寺として六条御堂(ろくじょうみどう)と称したことに始まる。その後、正嘉(しょうか)年間(1257~59)堂に住していた十地覚空(じゅうちかくくう)・東山湛照(とうざんたんしょう)の師弟2人が東福寺開山円爾弁円(えんにべんえん)に帰依(きえ)してのち、禅寺となり万寿寺と改称する。1340年(興国1・暦応3)五条樋口(ひぐち)に移って十刹(じっせつ)の一つに、1386年(元中3・至徳3)には京都五山の第五に列したが、1434年(永享6)の火災後衰え、天正(てんしょう)年間(1573~92)東福寺山内に移った。

[平井俊榮]

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百科事典マイペディア 「万寿寺」の意味・わかりやすい解説

万寿寺【まんじゅじ】

京都市東山(ひがしやま)区にある臨済宗の寺。白河(しらかわ)天皇の〈里内裏(さとだいり)〉の六条内裏内に1097年建てられた六条御堂を,1261年覚空(かくくう)・湛照(たんしょう)(両開山)が禅宗に改め万寿寺と改称。京都五山の第五位。室町末には衰退,天正(てんしょう)年間(1573年―1592年)同じ覚空開山の東福(とうふく)寺山内の三聖(さんしょう)寺に移し,両寺号を称した。明治維新後万寿寺を専称。

万寿寺【まんじゅじ】

大分市にある臨済宗妙心寺派の寺。本尊釈迦如来。1306年大友貞親(さだちか)が館の南東に開基,開山は博多承天(じょうてん)寺の直翁智侃(じきおうちかん)。以降大友氏の外護で壮大な寺域を誇ったが,1586年島津氏の兵火に焼かれ,大友氏の凋落のため復興は遅れ,寛永(かんえい)年間(1624年―1644年)に丹山(たんさん)(中興開山)が現在地に再興。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「万寿寺」の解説

万寿寺
まんじゅじ

京都市東山区にある臨済宗東福寺派の寺。東福寺北門内にある。開山は十地上人覚空(爾一)・東山湛照(とうざんたんしょう)(慈一宝覚)の2人。前身は,1097年(承徳元)に白河天皇皇女の郁芳門院媞子(ていし)内親王の遺宮を仏寺に改めた六条御堂。正嘉年間(1257~59)に覚空と湛照が円爾(えんに)に帰依して六条御堂を禅寺とした。1386年(至徳3・元中3)五山となる。天正年間(1573~92)に東福寺山内の三聖寺の地に移った。阿弥陀如来座像(重文)がある。

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事典 日本の地域遺産 「万寿寺」の解説

万寿寺

(大分県大分市金池町5-4-2)
おおいた遺産」指定の地域遺産。
かつては元町にあった大友氏の菩提寺であり、大友氏の信仰のもと繁栄した。現在地には寛永年間に移された。瀧廉太郎の父が建てた廉太郎の墓があったが、2011(平成23)年に瀧家代々の墓がある日出町の竜泉寺へ移設されている

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「万寿寺」の意味・わかりやすい解説

万寿寺
まんじゅじ

京都市東山区にある臨済宗の寺院。山号は京城山。永長2 (1097) 年に白河上皇が郁芳門院の遺宮を寺としたのに始り,正嘉年間 (1257~59) に住僧が円爾弁円に帰依し,禅寺として万寿寺と名づけた。元中3=至徳3 (1386) 年に京都五山の第5位に列せられた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「万寿寺」の解説

万寿寺
まんじゅじ

京都市東山区にある臨済宗の寺
東福寺派で京都五山の第5位。1097年白河上皇が建てた六条御堂を,1261年改名した。1434年火災にあい,再興されて東福寺の末寺となっている。

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事典・日本の観光資源 「万寿寺」の解説

万寿寺

(京都府京都市東山区)
京都五山」指定の観光名所。

万寿寺

(京都府京都市東山区)
十刹」指定の観光名所。

万寿寺

(大分県大分市)
十刹」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の万寿寺の言及

【京都五山】より

鎌倉五山に対し,京都にある臨済宗の大禅刹,すなわち南禅寺・天竜寺・相国(しようこく)寺・建仁寺・東福寺・万寿寺をいう。中国南宋代の五山官寺制度が,日本に移植されたのは鎌倉時代末期のことで,はじめは建長寺・円覚寺など鎌倉の大禅刹をもって五山としていた。…

※「万寿寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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