精選版 日本国語大辞典 「三・一五事件」の意味・読み・例文・類語
さんいちご‐じけん【三・一五事件】
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1928年(昭和3)3月15日に日本共産党に対して行われた大弾圧。翌29年の四・一六(よんいちろく)事件とあわせて共産党に致命的な打撃を与えた。当時、非合法下に置かれた共産党は27年12月以後、「二七年テーゼ」に基づき工場細胞(支部)を基礎とする活動に着手。28年2月には中央機関紙『赤旗(せっき)』を創刊、同月行われた普通選挙法による初の総選挙には11名の党員を労働農民党から立候補させ独自の大衆宣伝を公然と行った。27年に山東(さんとう)出兵を強行し中国侵略へ向かっていた田中義一(ぎいち)内閣は、共産党の活動が国民に影響を及ぼすことを恐れ、秘密裏に内偵を続けたうえで、28年3月15日未明、全国一斉に捜査、野坂参三(さんぞう)、志賀義雄(よしお)、河田賢治(けんじ)らの幹部をはじめ共産党員および同党支持者など約1600名を検挙した。徳田球一(きゅういち)はすでに2月26日に逮捕されていたが、逃れた幹部の検挙は続き、10月には国領五一郎(こくりょうごいちろう)も逮捕された。
政府は4月10日に日本労働組合評議会、労働農民党、全日本無産青年同盟を解散させ、この日ようやく事件の報道を解禁、新聞は共産党を恐ろしい集団と印象づけるニュースを報じた。特高警察は逮捕者に非人道的な拷問を加え、小林多喜二(たきじ)は小説『一九二八年三月十五日』でこの事実を告発した。起訴された者は483名、全国の裁判所で審理が行われたが、東京では四・一六事件被告らと統一公判に付され、代表陳述の形をとった。被告のほとんどが治安維持法違反で有罪となったが、この弾圧は全国民に対する思想的・政治的自由の全面的剥奪(はくだつ)と全面戦争への道を開いた。
[梅田欽治]
『我妻栄他編『日本政治裁判史録 昭和・前』(1970・第一法規出版)』▽『日本共産党中央委員会出版局編・刊『日本共産党の六十年』(1982)』▽『上田誠吉著『昭和裁判史論』(1983・大月書店)』
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