三千院(読み)さんぜんいん

精選版 日本国語大辞典 「三千院」の意味・読み・例文・類語

さんぜん‐いん ‥ヰン【三千院】

京都市左京区大原来迎院町にある天台宗の寺。門跡寺院。山号は魚山。延暦年間(七八二‐八〇六)最澄が比叡山東塔南谷に開創。大治五年(一一三〇堀河天皇第二皇子の最雲法親王の入山以来皇族が住持となる。本堂の往生極楽院(恵心院)は久安四年(一一四八)建立のもの。また本尊の阿彌陀如来像の両脇侍は日本式に跪坐(きざ)している。梶井門跡。円徳院。円融院(坊)。梨本坊

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デジタル大辞泉 「三千院」の意味・読み・例文・類語

さんぜん‐いん〔‐ヰン〕【三千院】

京都市左京区にある天台宗の寺。天台宗五門跡の一。山号は魚山。開創は延暦年間(782~806)、最澄比叡山東塔南谷に建立した円融房に始まる。大治5年(1130)堀河天皇の皇子最雲法親王が入寺して以来、宮門跡応仁の乱後、現在地に移転した。本堂の往生極楽院は久安4年(1148)の建立。梨本坊。梶井門跡。円融院。

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日本歴史地名大系 「三千院」の解説

三千院
さんぜんいん

[現在地名]左京区大原来迎院町

東に小野おの山を負い、川・りつ川に左右を挟まれる。比叡山延暦寺の別院で天台門跡寺院の一。江戸時代には円徳えんとく(山城名勝志)円融えんゆう(山城名跡巡行志)と号し、また梶井かじい門跡(京都御役所向大概覚書)梨本なしもと(都名所図会)ともよばれた。三千院の寺名は明治四年(一八七一)以後である。本尊阿弥陀如来。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔開創〕

寺伝は、延暦七年(七八八)最澄が叡山東塔南谷みなみだにの梨の大樹の下に一宇(円融房)を建立したのが当院の起りという。貞観二年(八六〇)承雲によって堂塔が整備され、承雲を始祖とする梨本門流(帝王編年記)の寺房となる。次いで三二代天台座主となった梨本門流の明快が新たに梶井門流を創始したが(梶井門跡次第)、応徳三年(一〇八六)前中宮職賢子の菩提を弔うため東坂本ひがしさかもと(現滋賀県大津市)梶井(加持井)里に御願寺円徳院が建立され(「百錬抄」六月一六日、「扶桑略記」同日条)、梶井門流の里坊となり叡山東塔の円融房は本坊になったと伝える。

〔門跡坊〕

大治五年(一一三〇)に堀河天皇の子最雲法親王が入室して一四世(一説に一三世)門主となり、大原(魚山)、梨本・梶井両門流、円融房を「加預」され(天台座主記)、以後一八世承仁法親王(第六三世天台座主)、二〇世尊快法親王、二一世尊覚法親王(第八一世天台座主)、二二世最仁法親王(第八三世天台座主)など代々法親王の入室する門跡房となった。平安時代末期の成立と推定される「叡岳要記」には、東塔の堂宇のなかに「円融房」「円徳院」の名がみえ、この時期梨本門流の「円融房」、梶井門流の「円徳院」の山上房舎が叡山東塔に存在したことが知られる。寿永二年(一一八三)七月の後白河法皇叡山落の際には、円融房が法皇の御所となったことが「平家物語」等に記されている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三千院」の意味・わかりやすい解説

三千院
さんぜんいん

京都市左京区大原来迎院(らいごういん)町にある天台宗の寺。山号は魚山(ぎょさん)。本尊は薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)。もと円融院(えんゆういん)(円融房)または円徳院といった。梨本房(なしもとぼう)、梶井門跡(かじいもんぜき)とも称し、妙法院(みょうほういん)、青蓮院(しょうれんいん)、毘沙門堂(びしゃもんどう)、曼殊院(まんしゅいん)とともに天台宗五門跡の一つ。788年(延暦7)伝教大師最澄が比叡山(ひえいざん)根本中堂創建したとき、東塔南谷の梨(なし)の大木の下に仮堂をつくったのが始まりと伝える。860年(貞観2)承雲(じょううん)が堂塔を整備して梨本門流の一寺となる。1086年(応徳3)には山麓(さんろく)の東坂本梶井里(かじいのさと)(現大津市)に御願寺(ごがんじ)円徳院が設けられて、東塔の本坊円融坊に対する里坊(さとぼう)とされた。堀河(ほりかわ)天皇の第2皇子最雲(さいうん)法親王が皇族入寺の初めで、1130年(大治5)第14世となり梶井の宮と称した。その後、承任(じょうにん)(18世)、尊快(そんかい)(20世)、尊覚(そんかく)(21世)、最仁(さいにん)(22世)らの法親王の入寺が続き、門跡寺院となった。1156年(保元1)大原寺(だいげんじ)(大原の来迎院、勝林院などの総称)を管轄することになり、魚山(ぎょさん)の声明(しょうみょう)を統管し、現在の地大原に政所(まんどころ)を設置した。鎌倉時代、里坊は東坂本から京都に移され転々としたが、応仁(おうにん)の乱で船岡山(ふなおかやま)にあった堂舎が焼失したのち、大原に移った。徳川綱吉(つなよし)は寺領1064石を寄せ、現在の上京(かみぎょう)区梶井に里坊をつくった。明治維新後、大原政所が本殿と定められ、寺号も三千院となった。

 本堂の往生極楽院(おうじょうごくらくいん)(国重要文化財)は1148年(久安4)真如房(しんにょぼう)尼(藤原実衡(さねひら)の妻)の建立した常行三昧(さんまい)堂で、堂内に安置する阿弥陀(あみだ)三尊(国重要文化財)、脇侍(わきじ)の観音(かんのん)・勢至菩薩(せいしぼさつ)の跪坐(きざ)する姿は来迎のようすを表したものとして著名である。ほかに不動明王像、救世(ぐぜ)観音半跏(はんか)像、慈覚大師伝、四天王縁起(えんぎ)残巻、古文孝経、性空上人(しょうくうしょうにん)伝記遺続集、帝王系図(以上国重要文化財)などを蔵する。境内には聚碧(しゅうへき)園と有清(ゆうせい)園の二つの名園がある。

[田村晃祐 2017年4月18日]

『『古寺巡礼 京都17 三千院』(1977・淡交社)』『三山進著『三千院』(1970・中央公論美術出版)』

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改訂新版 世界大百科事典 「三千院」の意味・わかりやすい解説

三千院 (さんぜんいん)

京都市左京区大原にある天台宗の寺。青蓮院妙法院とともに天台宗三門跡の一つ。もと円徳院,円融院,梶井門跡(かじいもんぜき),梨本坊(なしもとぼう)ともいい,三千院の呼称は1871年(明治4)以後である。本尊阿弥陀如来。寺伝では,788年(延暦7)最澄が叡山東塔に建てた一堂が起源という。寺地は山上,近江坂本,洛北船岡山などを転々して,応仁の乱後に現在地に移った。平安後期から幕末まで歴代門跡は皇族がなり,天台の声明音律のことを管轄し(声明),また比叡山上の根本中堂,法華堂,常行堂を管領した。近世の寺領は1060石余。現寺地は東に小野山を負い,声明にちなんで名付けられた呂(ろ)川と律(りつ)川を左右にひかえ,聚碧(じゆへき)園と有清(ゆうせい)園の二つの名庭を擁し,桜や紅葉や苔が美しく,洛北の名勝として名高い。本堂の往生極楽院(重要文化財)は,高松中納言実衡の妻真如房尼が,1148年(久安4)ころ夫の菩提を弔うために建立した常行三昧堂で,桁行4間・梁間3間,単層,入母屋造,柿葺き(こけらぶき)で,内部は藤原時代の阿弥陀堂建築になっている。堂内の本尊阿弥陀如来座像は丈六の巨像で,上品下生の印相,右脇侍の観音は蓮台をもち,左の勢至は合掌し,ともに膝を屈して阿弥陀来迎の姿を現している。三尊ともに1148年の造立と推定され,重要文化財。上下2段からなる庭園のうち,上の有清園は池泉回遊式,下の聚碧園は池泉観賞式で,いずれも池泉,石組み,刈込みを配した江戸初期の閑雅な庭園である。なお聚碧園の前の客殿の襖絵は,今尾景年,菊池芳文,鈴木松年,竹内栖鳳ら近代画家の筆になる。
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百科事典マイペディア 「三千院」の意味・わかりやすい解説

三千院【さんぜんいん】

京都市左京区大原にある天台宗の門跡寺院。円融院ともいう。本尊阿弥陀如来。梶井門跡・梨本坊とも称された。三千院としたのは明治初年より。788年比叡山に建てた一宇が起源とも,1086年近江(おうみ)国東坂本梶井里に建立された円徳院がその初めともいう。応仁の乱後に現在地に移った。院内の往生極楽院本堂は平安時代の遺構で,内部に壁画を描き,本尊阿弥陀三尊像を安置する。三尊像は木造漆箔(はく),脇侍勢至菩薩像に久安4年(1148年)の造像銘があるのは貴重で,当代における来迎形式の三尊の代表作である。なお,往生極楽院をとりまく有清(声)園は紅葉の名所。
→関連項目阿弥陀堂大原京都[市]左京[区]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三千院」の意味・わかりやすい解説

三千院
さんぜんいん

京都府京都市左京区大原にある天台宗門跡寺院。初め最澄比叡山東塔に三千院円融房を建てたと伝えるが,のち東坂本梶井里に移り,さらに明治維新後当地に移った。本尊の『阿弥陀三尊』の脇侍『勢至菩薩像』は,来迎形式の彫刻として最古の仏像。庭は紅葉で名高い。

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旺文社日本史事典 三訂版 「三千院」の解説

三千院
さんぜんいん

京都市左京区大原にある天台宗の寺
延暦年間(782〜806),最澄が創建。比叡山から後世各地に移建され,応仁の乱(1467〜77)以後現在地に移った。山門3門跡の一つ。持仏堂の往生極楽院は藤原時代の代表的な阿弥陀堂建築。往生極楽院の『阿弥陀三尊像』は源信の作と伝えられる。

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デジタル大辞泉プラス 「三千院」の解説

三千院

京都府京都市左京区にある寺院。天台宗。延暦年間(782~806)の創建とされる。しばしば移転し、都度寺名も変わった。応仁の乱の後、現在地に移転。三千院の名は明治以降。本尊は薬師如来。阿弥陀三尊坐像は国宝。

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