日本大百科全書(ニッポニカ) 「三和(茨城県)」の意味・わかりやすい解説
三和(茨城県)
さんわ
茨城県南西部、猿島郡(さしまぐん)にあった旧町名(三和町(まち))。現在は古河市(こがし)の東部を占める地域。1955年(昭和30)幸島(こうじま)、八俣(やまた)、名崎(なさき)の3村が合併して成立した三和(みわ)村が、1969年町制施行して改称。2005年(平成17)古河市に合併。旧町域は猿島台地と飯沼(いいぬま)川低地からなる。国道新4号バイパスと125号が通じる。江戸時代は諸藩領と幕府領がしばしば交替した所で、中心の諸川(もろかわ)は日光東街道の宿場。畑作農業が主でユウガオ(かんぴょうの原料)、ハクサイ、カボチャ、露地メロンが多い。東京から60キロメートルの圏内にあり、工場、住宅、人口が近年急増した。「三和祇園(さんわぎおん)ばやし」と大和田の「磐戸神楽(いわとかぐら)」は県指定無形民俗文化財。
[櫻井明俊]
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