三島 通良(読み)ミシマ ミチヨシ

20世紀日本人名事典 「三島 通良」の解説

三島 通良
ミシマ ミチヨシ

明治・大正期の衛生学者



生年
慶応2年6月6日(1866年)

没年
大正14(1925)年3月9日

出生地
武蔵国入間郡霞関村笠幡(埼玉県)

別名
号=静堂

学歴〔年〕
帝国大学医科大学〔明治22年〕卒,東京帝大大学院小児科学専攻

学位〔年〕
医学博士〔明治35年〕

経歴
明治24年文部省より学校衛生調査を嘱託され、全国の学校を巡回。29年文部省学校衛生主事となり、東京高師教授を兼ねる。33年学校衛生課長、36年欧米に留学し学校衛生等を研究、翌37年帰国。38年退官し、東京・麴町に三島医院を開業するが、44年に廃業し、以後学校衛生の研究に専念した。また帝国痘菌院を設立して痘菌の供給と種痘術の普及に尽力した。学校衛生の生みの親であり、母子衛生法の改良、三島式種痘法の発明など多大な功績を残した。著書に「ははのつとめ」「救世痘病学」「学校衛生学」「室内体育」「日本小児発育一覧表」「中等生理衛生教科書」など多数。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「三島 通良」の解説

三島 通良 (みしま みちよし)

生年月日:1866年6月6日
明治時代;大正時代の医師
1925年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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