日本大百科全書(ニッポニカ) 「三日月(兵庫県)」の意味・わかりやすい解説
三日月(兵庫県)
みかづき
兵庫県西部、佐用郡(さようぐん)にあった旧町名(三日月町(ちょう))。現在は佐用町の南東部を占める一地区。1934年(昭和9)町制施行。1955年(昭和30)三日月町は大広村と合併。2005年(平成17)佐用町に合併。JR姫新線(きしんせん)と国道179号(出雲(いずも)街道)が東西に走る。地域の80%が山地で、わずかに千種(ちくさ)川の支流志文(しぶみ)川などに沿って平地が開ける。江戸時代、乃井野(のいの)は三日月藩森氏1万5000石の陣屋町、中心集落の三日月は出雲街道の宿場町であった。米作中心から近年ではナス、ブドウ栽培などに移り、高原牧場や観光クリ園もある。最明寺(さいみょうじ)の木造北条時頼(ときより)坐像(ざぞう)は国指定重要文化財。
[大槻 守]
『『三日月町史』全7巻(1964~1983・三日月町)』
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