三条冬子(読み)さんじょう・ふゆこ

朝日日本歴史人物事典 「三条冬子」の解説

三条冬子

没年延徳1(1489)
生年嘉吉1(1441)
室町時代女官。父は左大臣三条実量,母は正親町三条実雅猶子後花園天皇(上皇)の朝廷に最高女官の上臈局として勤めた。後花園没後も旧院上臈局として後土御門天皇の朝廷に奉仕以後,清華家出身の宮廷女房は上臈となり,赤青色の衣を許され,陪膳に候した。<参考文献>吉野芳恵「室町時代の禁裏の女房―三条冬子の生涯と職の相伝性について―」(『国学院雑誌』85巻2号)

(脇田晴子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三条冬子」の解説

三条冬子 さんじょう-ふゆこ

1441-1489 室町時代の女官。
嘉吉(かきつ)元年生まれ。三条実量(さねかず)の娘。母は正親町三条実雅(おおぎまちさんじょう-さねまさ)の養女。後花園天皇の上臈局(じょうろうのつぼね)となり,後土御門(ごつちみかど)天皇にも旧院上臈局としてつかえた。従三位。延徳元年9月9日死去。49歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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