新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「三条 実美」の解説
三条 実美
サンジョウ サネトミ
- 肩書
- 内大臣,太政大臣
- 別名
- 別名=梨木 誠斉(ナシキ セイサイ) 号=梨堂
- 生年月日
- 天保8年2月7日(1837年)
- 出身地
- 京都・梨木町
- 経歴
- 安政の大獄で官を退いた父の遺志を継いで、尊王攘夷運動の先頭に立った。文久3年国事御用掛、同年薩摩・会津藩の尊攘派排撃8.18政変で長州へ逃れた(七卿落ち)。第1次長州征伐後の慶応元年太宰府に移され幽居3年。この間薩摩藩との提携を強め、また岩倉具視と気脈を通じて画策につとめた。明治元年王政復古で議定に復帰、次いで副総裁兼外国事務総督、関東監察使 2年右大臣となり永世禄五千石を受けた。4年天皇を輔弼する政府の最高責任者、太政大臣となり、西南の役など難局を乗り切り、11年賞勲局総裁兼任、17年華族令制定で公爵。18年内閣制度新設で内大臣。22年黒田内閣総辞職後一時首相を兼任。国葬。
- 没年月日
- 明治24年2月18日
- 家族
- 父=三条 実万(右大臣) 息子=河鰭 実英(昭和女子大学学長)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報