三浦 銕太郎(読み)ミウラ テツタロウ

20世紀日本人名事典 「三浦 銕太郎」の解説

三浦 銕太郎
ミウラ テツタロウ

明治〜昭和期のジャーナリスト,評論家 元・東洋経済新報主幹



生年
明治7年3月20日(1874年)

没年
昭和47(1972)年5月8日

出身地
静岡県大井川町

旧姓(旧名)
山下

学歴〔年〕
東京専門学校(現・早稲田大学)〔明治29年〕卒

経歴
明治29年学業を修了し、32年東洋経済新報社に入社。43年姉妹誌「東洋時論」を主宰。大正元年10月から「東洋経済新報」(現「週刊東洋経済」)の代表社員・主幹となる。帝国主議批判の論陣をはり、“満州”放棄、朝鮮独立論など、大胆な政治的提言を行う。この間の論文は大正デモクラシー期における記念碑的存在で、近代思想史研究家によって高く評価されている。大正13年12月主幹を退いたが、その後も注目すべき論文、著書を発表し続ける。昭和31年6月から35年4月「週刊東洋経済」に連載された「新曙雑記」は80歳を過ぎてからの執筆で、後に著書「ソ連四十年」にまとめられた。他の著書に「世界転換史」「世界経済の転換と米国」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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