三遊亭 百生(読み)サンユウテイ ヒャクショウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「三遊亭 百生」の解説

三遊亭 百生
サンユウテイ ヒャクショウ


職業
落語家

経歴
明治44年初代桂文我の門に入り我蝶と名乗った。のち我朝とする。大正7年上京し翁家さん馬の門人さん助となって修業。妻を亡くした後、中国に渡り水商売、洋服問屋を成功させるが敗戦のため引き揚げ、桂梅団治の名で上方落語に戻るがうまくいかず、昭和27年6代目三遊亭円生を頼って東京の高座をつとめ、29年三遊亭百生を襲名文化放送専属にもなった。

没年月日
昭和39年 3月31日 (1964年)

伝記
談志絶倒 昭和落語家伝落語長屋の知恵 立川 談志 著,田島 謹之助 写真矢野 誠一 著(発行元 大和書房青蛙房 ’07’86発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

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