三部会(読み)さんぶかい

精選版 日本国語大辞典 「三部会」の意味・読み・例文・類語

さんぶ‐かい ‥クヮイ【三部会】

〘名〙 (États généraux の訳語) 一四世紀初頭に始まるフランス身分制議会。僧侶・貴族・平民の三身分によって構成され、ふつうは国王の課税に協力させる目的で召集された。一六一五年以後中断、一七八九年に再び召集されたが、議決方法をめぐって紛糾し、フランス革命誘発の一因となった。全国三部会

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デジタル大辞泉 「三部会」の意味・読み・例文・類語

さんぶ‐かい〔‐クワイ〕【三部会】

フランスの中世末から絶対王権確立期までの身分制議会。聖職者・貴族・平民の三身分の代表者から構成され、全国三部会と地方三部会に分けられる。全国三部会は1615年以降は招集されず、1789年5月に再開され、フランス革命導火線となった。

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改訂新版 世界大百科事典 「三部会」の意味・わかりやすい解説

三部会 (さんぶかい)

中世後期に創設されたフランスの身分制議会。聖職者,貴族,第三身分(平民)の各代表によって構成され,審議は身分ごとに形成される部会単位で行われたため〈三部会〉と呼ばれる。全国三部会États générauxと地方三部会États provinciauxとがある。全国三部会は通算約60回開催されたが,その歴史は次の4時期に分けることができる。(1)1302年から15世紀半ばまで。最初のものとして有名な1302年の三部会,続く08年の三部会等ののち,百年戦争期に入ると王権の戦争政策に対する国民の支持を獲得するため頻繁に開催された。(2)16世紀半ばまで。百年戦争の終了とともに召集は急速に間遠になり,見るべきものは1468年と84年の三部会ぐらいで,その後76年間は空白となった。(3)1614年まで。1560年に復活したのち,宗教戦争の混乱の中で頻繁に開催された。ただし,諸党派の激しい対立から,全国三部会とはいっても,一方の党派を代表するにすぎない場合が多かった。(4)1789年まで。1614年の三部会の後,革命まで召集されなかった。そして,1789年5月5日に召集された三部会がフランス史上最後の三部会となった。第三身分代表のイニシアティブによって憲法制定国民議会として近代議会に再編成されたからである。以上の歴史を通じて,国王は全国三部会を,1302年や08年の三部会の場合のごとく,教皇などとの政治的対立の際に国民世論を自己の側に引きつけ政治的かけひきを有利に展開するための手段として使い,また,百年戦争・宗教戦争期のごとき危機の場合に国民の政治的支持をつくり出すため三部会を召集し,したがって,そのような必要性がなくなればこの制度を眠らせておいたということがいえる。三部会が自発的に集会するという議会の自立性は原則としてなく,開催の定期性もなく,そのときどきの政治情勢に応じて召集される状況対応的な政治集会の性格が強く,恒常的国制とはならなかった。

 制度的にみると,全国三部会の人的構成を規定する原則は15世紀半ばから16世紀にかけて転換した。15世紀半ばまでは,出席者は国王に〈助言と助力〉という封建的義務を負う家臣および封建家臣と同格に位置づけられた都市の代表で,国王から個別的に召集された。15世紀半ばになると封建制形骸化し,〈国民〉観念が形成され始めると身分的区分を残しながら選挙にもとづく代表制が登場してくる。この制度は1468年の三部会の際に都市について,84年には3身分すべてについて試行的に実施されたのち,1560年の三部会の際に確定した。それは,バイイ管区bailliage,セネシャル管区sénéchausséeを選挙区とし,聖職者と貴族はこの選挙区単位の集会で代表を選出し,第三身分は職能別集会(都市),聖堂区単位の集会(農村)での第1次選挙を経て,バイイ管区,セネシャル管区単位の集会で代表を選出する(2段階選挙)というものであった。

 全国三部会の運営を15世紀半ば以後の確定した形でみると次のごとくである。召集,延期,終了等はすべて国王の意思に依存する。指定の期日・場所に集合した代表は,身分ごとに会議を形成し,議長および当該身分の名において発言する代弁者を指名しかつ代表の権限を審査する。会期は三身分合同の開会総会をもって始まり,ここで国王あるいは大書記官長chancelierの召集の意図に関する演説があり,これにこたえて各身分の代弁者が各身分の意向を表明する。次いで代表は各身分の議場に分かれて審議を開始する。審議事項は国王提示の問題に限られる。審議が終わると再び総会場に集まり,各身分の代弁者が当該身分の部会の結論を述べる。全国三部会の意思は身分別の多数決で,すなわち二つの身分が同じ意見を表明したときに決定した。したがって各身分の代表数は議決には無関係であった。また代表は選挙区の意思に拘束され,それに反したり逸脱したりできず(命令的委任),新たな問題には新たな委任を必要とした。これは議会運営上不都合が多かったから,国王は代表が全権を委任されることを要求したが実現せず,代表が選挙区の意思から解放される(代表委任)のは革命以後である。全国三部会の権限には憲法的権限と行政的権限とがある。前者は,国王が王国基本法(国土不可譲,王位相続権移転等の原則)の適用を排除しようとするときは三部会の同意を必要とするというものであるが,理論上のものにとどまった。後者は〈助言と助力〉という封建的観念に由来するもので,王国行政の改善すべき点を陳情書にまとめて提出するとか,国王が要求する臨時の援助金への同意などの形で現れた。

 地方三部会は,封建時代の大諸侯領で独自の慣習・特権を維持しつつ王国に統合され,王国の行政単位に変容していく地方単位の身分制議会である。地方三部会が存在したのは,ブルゴーニュプロバンスラングドック,オーベルニュ,ブルターニュノルマンディー等王権が十分に浸透していない王国の周辺に位置する地方が多い。地方三部会の権限の中心は国王の当該地方に対する課税要求に対する同意権であった。同意した税については,議会内に委員会を設置して割当て・徴収を行って国庫に納入した。また当該地方の独自予算をもって道路・港の建設・補修などの公土木事業を行い,地方三部会出席者に多額の手当を支払った。ただこの地方財源は国王租税への付加税であったから,国王租税に従属していた。絶対王政を目ざす王権は,十分に王権が浸透した王国の中心部とはちがって,なお独自性の強い王国周辺の諸侯領では直接課税はできなかったから,地方三部会を媒介として税を徴収したのである。税制上王国の中心部を〈直接課税地域〉というのに対し,この地域は〈三部会地域〉と呼ばれる。15世紀半ば以後,絶対王政の成立に伴って,地方三部会は急速に衰退,形骸化するが,最終的に消滅をみるのは,フランス革命期である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三部会」の意味・わかりやすい解説

三部会
さんぶかい

旧制度下のフランスの身分制議会。全国三部会(エタ・ジェネロ)États générauxおよび地方三部会(エタ・プロバンシォ)États provinciauxがある。

[岡本 明]

全国三部会

僧侶(そうりょ)、貴族、平民の各議員で構成され、1302年、僧侶への課税を企てたフィリップ4世(在位1285~1314)がローマ教皇ボニファティウス8世に対し国の結束を誇示するために招集したのが最初とされる。08年にはテンプル騎士団の解散のためにも開催。百年戦争中、ジャン善良王(在位1350~64)が捕虜になると、延べ3年にわたり常時開会となり、三部会の発意による定期会合、租税徴収への承認権などを摂政(せっしょう)に認めさせた。とはいえ、近代的議会制への道はまだ開かれておらず、商人組合長エチエンヌ・マルセルの乱(1358)の失敗後、三部会の試みは挫折(ざせつ)した。15世紀末からはカイエ(陳情書)を持ち寄って統一カイエを作成し、国王に提出する習わしとなる。宗教戦争中、招集の機会が増え、1560年にオルレアン、76年、88年ブロアで開かれ、宗教和議が行われたが宗派対立は深まった。93年のパリでの三部会はリーグ(カトリック強硬派)のみの会合で、ユグノーの王位継承者アンリ・ド・ナバル(後のアンリ4世)に反対し異端王の即位を認めないとの決議をした。制限王制的な動きが強まるなかで1614年、摂政マリ・ド・メディシスが招集した三部会では、僧族は、司教座空位中に国王が聖職禄(ろく)を転売することの中止を、貴族は売官制の撤回を、平民はガリカニズム(国家教会制度)の擁護とタイユ(人頭税)の減免をそれぞれ要求し、3身分の足並みがそろわなかったため、成果なしに解散した。これ以後、革命前夜まで一度も招集されなかった。絶対王制の時代に入ったのである。

 1788年、ルイ16世は高等法院の要求をいれ、窮迫する財政について三部会の意見を徴することとし、財務長官ネッケルの勧めで、伝統的形式をやや修正して招集した。つまり、平民議員の倍増と司祭など下級聖職者、非法服の貴族を議員に選ばれやすくしたのである。翌年5月、ベルサイユに招集された三部会では、冒頭から討議形式で紛糾した。平民身分は財政より憲法制定が先決であるとし、独自に国民議会を宣言、特権身分からも合流する者が出て帰趨(きすう)を決し、フランスはここに革命を迎えることとなる。

[岡本 明]

地方三部会

14世紀以降、地方に国王の封建的な支配権が及ぶと、それまでの公伯の諮問的な身分会議が地方三部会として存続することになった。ノルマンディー、ブルゴーニュ、ブルターニュ、プロバンスなどがその例で、これらの地をペイ・デタとよぶ。各地方三部会は税種の選択や減額交渉の権利をもち、直属の徴税人がタイユの徴収にあたった。リシュリューが宰相(1624~42)のときドフィーネやギエンヌの三部会は事実上廃止され、ルイ14世の親政期(1661~1715)にもフランシュ・コンテ、ノルマンディーのそれは権限を弱められた。地方三部会を廃止されたところでは、革命前夜、貴族を中心に再建運動が起こった。

[岡本 明]

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百科事典マイペディア 「三部会」の意味・わかりやすい解説

三部会【さんぶかい】

フランスの身分制議会。高級聖職者と貴族の代表よりなる封建的王政諮問会議に,有力都市の市民階級(第三身分)代表を加えた3部で構成。1302年教皇ボニファキウス8世と抗争中のフィリップ4世が国民の支持と課税源の拡大を得るためパリに召集したのが最初とされる。百年戦争の敗戦で三部会の権威が高まり,1357年エティエンヌ・マルセルの乱中に英国のマグナ・カルタに対比される大勅令を承認させたこともある。しかし,概して王権が強く,1614年以来約170年間は召集されなかった。1789年フランス革命直前に召集された三部会は第三身分を中心として国民議会を形成,革命の推進力となった。
→関連項目クリア・レギスシエイエスネッケル身分制議会リシュリュー

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「三部会」の解説

三部会(さんぶかい)
États généraux

フランスの身分制議会で,聖職者,貴族,第三身分の3部から構成される。1302年にフィリップ4世が教皇と対立したとき,聖職者,貴族,都市の代表をパリに召集したのが始まりで,それ以後,重要な決定や新税徴集に際して召集された。しかしたんなる諮問機関で召集も国王の意志しだいであり,1484年までは南部と北部で別々に開かれた。百年戦争下に三部会の権威が高まり,1357年にはマグナ・カルタに匹敵する大勅令を国王に発令させたが,マルセルの死後空文に帰した。16世紀の宗教戦争下にもしばしば常設機関とする要求が出されたが,内部対立のため実現せず,1614年の召集を最後に開かれなくなり,絶対王政の成立をみた。1789年に財政難を契機に特権身分は三部会の召集にまで王権を追い込むのに成功したが,これがフランス革命勃発の端緒となった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「三部会」の解説

三部会
さんぶかい
États généraux

フランスの身分制議会
僧侶・貴族・平民の3身分の代表で構成。1302年に教皇ボニファティウス8世と抗争中のフィリップ4世がパリに召集したのが始まりとされる。その後,国王の課税協賛機関となった。絶対主義が強化されるにおよび,1615年の閉会以来閉鎖され,1789年に再開されてフランス革命の発端となった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三部会」の意味・わかりやすい解説

三部会
さんぶかい

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世界大百科事典(旧版)内の三部会の言及

【選挙】より

… 近代の選挙制度の起源となったのは中世における等族会議の召集であった。等族会議は封建君主の下の家臣会議から発達したものであり,のちに僧侶階級および自由都市からの代表者を別々に召集した会議もひろく行われたので三部会ともよばれる。三部会は,封建君主が課す徴税を承認させるためのものであり,また,その際に君主に対する請願も行われた。…

【フィリップ[4世]】より

…この戦争による多額の財政出費に対処するため,貨幣改鋳,聖職者課税,テンプル騎士団の解散などが行われた。聖職者に対する課税は教皇ボニファティウス8世との間に激烈な衝突を引き起こし,王はフランス身分制議会の始まりとされる三部会を召集(1302),聖俗諸侯や都市の支持を得て教皇に対抗,顧問官ノガレは兵を率いてアルプスを越え,教皇をアナーニの別荘に急襲した。ボニファティウスの死後,新教皇クレメンス5世はフランス王に服従し,アビニョンに居を移した(1309)。…

【フランス革命】より

…フランス革命は,貴族の反抗によって口火を切られたのである。
【1789年の革命】
 名士会がなんの効果もあげずに解散すると,財政改革案の審議は全国三部会にゆだねられるものとされ,175年間も開かれていなかった全国三部会が1789年に召集されることになった。しかし,その全国三部会の構成と議決の方式をめぐって,貴族と第三身分との対立があらわになった。…

※「三部会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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