上原元秀(読み)うえはら・もとひで

朝日日本歴史人物事典 「上原元秀」の解説

上原元秀

没年:明応2.11.18(1493.12.26)
生年:生年不詳
室町時代武将,室町幕府管領細川政元の内衆。賢家の子。姓は物部。神六,左衛門尉,左衛門大夫。文明14(1482)年,政元の丹波国守護代となる。長享1(1487)年,将軍足利義尚の近江出陣に政元と共に従軍。明応2(1493)年閏4月,政元の命で河内国出陣中の将軍足利義材(義稙),畠山政長を打撃。政長を敗死させ,義材を捕らえて上洛する。同年10月,同じく政元の内衆であった長塩弥六を殺害,自らも重傷を負った。これまでの悪行を悔やんだ元秀は,願を立て北野社,石清水八幡宮,鷹司家に押領地を返還,放逐した摂津住吉社権神主津守国則を帰宅させたが,ほどなく死去した。

(森田恭二)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上原元秀」の解説

上原元秀 うえはら-もとひで

?-1493 室町時代の武将。
細川政元の近臣。文明14年丹波守護代となる。明応2年政元の命で安富元家らとともに将軍足利義材(よしき)(のちの義稙(よしたね))を捕らえ,畠山政長を殺害。さらに政元の近臣長塩弥六を殺し,自分も重傷を負う。これまでの行いを後悔し,願をたて押領地をかえすなどしたが,同年11月18日死去。姓は別に物部。通称は神六。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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