上尾市(読み)アゲオシ

デジタル大辞泉 「上尾市」の意味・読み・例文・類語

あげお‐し〔あげを‐〕【上尾市】

上尾

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「上尾市」の解説

上尾市
あげおし

面積:四五・五六平方キロ

県南東部に位置し、東は綾瀬川を境にして北足立郡伊奈いな町と蓮田市、南は大宮市、西は荒川を画して川越市と比企郡川島かわじま町、北は桶川市に接する。大宮台地のほぼ中央部を占め、台地は南流するかも川としば川の浸食谷によって三部分に分断されている。桶川市との境界に近い北西部藤波ふじなみ地区付近を最高点とし、緩やかに南東へと傾斜し、西の荒川低地、東の綾瀬川の低地との比高差は少なく、平坦な地形である。ほぼ中央部を南東から北西へとJR高崎線が縦断し、上尾・北上尾の二駅がある。東側を並行して国道一七号が走る。南東原市はらいち地区を上越・東北新幹線が通過、同線に沿って埼玉新都市交通伊奈線(ニューシャトル)が走り原市・沼南しようなんの二駅がある。

〔原始・古代〕

市域の原始・古代遺跡数は四二〇件余と推定される。旧石器時代の遺物が殿山とのやま遺跡(畔吉)天沼あまぬま遺跡(上野)柏座かしわざ遺跡(柏座)前戸崎まえとさき遺跡(戸崎)谷津下やつしたI遺跡(平塚)などから出土し、殿山遺跡出土の国府型ナイフ形石器は関東地方初めての発見であった。縄文時代の遺跡は圧倒的に多く高台の、荒川・鴨川・芝川・原市沼沿いの低地を望む所に分布している。平方ひらかた貝塚(平方)氷川ひかわ遺跡(戸崎)秩父山ちちぶやま遺跡(瓦葺)後山うしろやま遺跡(藤波)十四番耕地じゆうよんばんこうち遺跡・十二番耕地じゆうにばんこうち遺跡(原市)などで、平方貝塚は縄文時代早期末葉から前期の貝塚で奥東京湾海進の北限に位置するとみられている。弥生時代から奈良・平安時代にかけての竪穴住居跡・遺物なども点在しており、昭和四〇年(一九六五)尾山台おやまだい遺跡(瓦葺)発掘は県域の大規模発掘の先駆であった。鉄剣片・管玉などが出土した薬師耕地前やくしこうちまえ遺跡(西貝塚)方形周溝墓は、弥生時代末から古墳時代前期を特徴づけている。荒川左岸桶川市川田谷かわたや方面から浦和市大久保おおくぼ地区方面へと続いて点在する古墳群が確認され、市域では殿山古墳・江川山いがやま古墳(畔吉)がある。現存する殿山古墳は直径四〇メートル、高さ二・五メートルの円墳で、昭和五二年の発掘調査で周溝から鉄鎌、土師器壺形土器などが出土し、五世紀前半の築造と考えられる。江川山古墳からは明治三〇年(一八九七)頃に直刀や製捩文鏡と竜鏡の二面が出土しており、築造時期は桶川市川田谷の熊野神社くまのじんじや古墳と同時代の四世紀後半と考えられている。奈良・平安時代の遺構として、平塚氷川ひらつかひかわ遺跡・谷津下やつしたI遺跡(平塚)など、竪穴住居跡や炭焼の窯跡などが原市沼周辺、鴨川流域で発掘されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「上尾市」の意味・わかりやすい解説

上尾〔市〕
あげお

埼玉県中央東部,東の綾瀬川,西の荒川の間の大宮台地上にある市。 1955年上尾,平方 (ひらかた) ,原市 (はらいち) の3町と大石,上平 (かみひら) ,大谷 (おおや) の3村が合体し,58年市制。中心市街地の上尾は江戸時代は中山道宿場町として発展。現在ではトラックなどの自動車部品,電気機械の工場が進出し,県下屈指の内陸型重工業地域を形成。西部の平方は江戸時代に荒川の河岸で栄えたところとして名高い。農村部は一般に畑作地帯で,施設野菜,果樹,花卉などが栽培されているが,首都圏の拡大に伴い大規模な住宅団地が建設され,宅地化が進展,農村風景は一変している。上尾運動公園,さいたま水上公園などのレクリエーション施設がある。 JR高崎線,国道 17号線が通る。面積 45.51km2。人口 22万6940(2020)。

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