上杉憲基(読み)うえすぎ・のりもと

朝日日本歴史人物事典 「上杉憲基」の解説

上杉憲基

没年:応永25.1.4(1418.2.9)
生年:明徳3/元中9(1392)
室町時代武将関東管領。憲定の子。安房守。応永19(1412)年に父憲定が死去すると21歳で山内上杉氏当主となり,上野・伊豆守護職継承。同22年には関東管領となり武蔵守護を兼ねる。翌23年に犬懸上杉氏憲(禅秀)が鎌倉クーデタを起こすと,公方足利持氏を保護して氏憲と戦い,敗れて越後に逃れた。その後越後から鎌倉に攻め入り,24年には氏憲を滅ぼして管領に復帰。その翌年,27歳の若さで死去した。

(山田邦明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上杉憲基」の解説

上杉憲基 うえすぎ-のりもと

1392-1418 室町時代の武将。
明徳3=元中9年生まれ。上杉憲定長男。応永19年山内上杉家をつぎ,22年関東管領となる。翌年対立していた犬懸(いぬかけ)上杉家の上杉禅秀挙兵で越後(えちご)(新潟県)に敗走。24年越後守護上杉房方の援助をえて幕府軍とともに禅秀をほろぼし,管領にもどった。応永25年1月4日死去。27歳。

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