上田百樹(読み)うえだ・ももき

朝日日本歴史人物事典 「上田百樹」の解説

上田百樹

没年:文政12(1829)
生年:生年不詳
江戸後期の国学者本姓は波伯部,通称を藤介といい,名を桃樹とも書く。鍵屋はその屋号。京都錦小路室町住。寛政9(1797)年から本居宣長晩年弟子となる。師の没後,同じ京都商家城戸千楯らが京都における鈴屋古学の拠点鐸屋を設けたが,百樹はそれらには加勢せず,宣長の古代史観を独自に受け止めつつ新たな識見を打ち出すのに出精した。『百樹の摘葉』(千楯編),『倭名抄私考』など写本で伝わる数種の著以外に,彼の真骨頂を窺わせる資料が少ないのは惜しまれる。<著作>「大祓詞後釈余考」(『大祓詞註釈大成』)

(ロバート・キャンベル)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上田百樹」の解説

上田百樹 うえだ-ももき

?-1812? 江戸時代後期の国学者。
京都錦小路の町人。本居宣長(もとおり-のりなが)の晩年の弟子で,寛政9年入門。古書校訂にすぐれていた。文化9年5月8日没か。本姓は波伯部。通称は藤介(助)。屋号は鍵屋。著作に「大祓詞後釈余考」「百樹の摘葉」「倭名抄私考」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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