中山世鑑(読み)ちゅうざんせいかん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中山世鑑」の意味・わかりやすい解説

中山世鑑
ちゅうざんせいかん

琉球(りゅうきゅう)王国の正史(せいし)。「~せかん」とも読む。1650年(慶安3)向象賢(しょうしょうけん)が王尚質(しょうしつ)の命によりまとめあげた琉球最初史書として知られる。冒頭総論を置き、全5巻よりなる。開闢(かいびゃく)神話から第二尚(しょう)氏王朝4代目の王尚清(しょうせい)代の1555年(弘治1)までの記述を含むが、なぜか尚真(しょうしん)代(在位1477~1526)の記事を欠いている。和文で記述されており、序文には和暦が用いられている。これは、島津侵入事件(1609)後の琉球の置かれた政治的現実を踏まえ、薩摩(さつま)、日本に対する配慮を前提としているからである。金石文や中国側の史書などを参照しつつまとめており、また『保元(ほうげん)物語』など戦記文学のスタイルもかなり取り入れている。史書としての不備が指摘されてはいるものの、後世の琉球の史書の枠組みを規定した点で重要な位置を占めている。

[高良倉吉

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日本歴史地名大系 「中山世鑑」の解説

中山世鑑
ちゆうざんせいかん

五巻 羽地朝秀(向象賢)

成立 順治七年

原本 国立公文書館内閣文庫

写本 尚家・岩瀬文庫

解説 琉球国初の正史。和文で叙述されている。本文は琉球開闢から第二尚氏尚清までの記事を載せているが、前代の尚真期の記事を欠いており、その理由は不明。中国関係文書や陳侃「使琉球録」、金石文をはじめ「琉球神道記」「保元物語」などの諸書を参考にしており、後世の正史に影響を与えた。王統初代の舜天を源為朝の遺子とする叙述は後世に踏襲された。なお県立博物館蔵の評定所格護定本「中山世鑑」(六冊)は県指定文化財。

活字本 琉球史料叢書

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改訂新版 世界大百科事典 「中山世鑑」の意味・わかりやすい解説

中山世鑑 (ちゅうざんせいかん)

〈せかん〉とも読む。琉球(中山はその別称)の最初の史書。1650年国王の命により向象賢(しようじようけん)の手で編述された。全5巻。尚清王代の1555年までの記述を含むが,歴史上重要な位置を占める尚真王の治世が完全に欠落するなど不備が目だつ。また歴史叙述のうえでも客観性を欠くなど問題点が随所にみられるが,後世の史書に多大の影響を与えたこと,向象賢の思想を検討できることなどの点で史料的価値が高い。
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百科事典マイペディア 「中山世鑑」の意味・わかりやすい解説

中山世鑑【ちゅうざんせいかん】

琉球最初の正史。5巻。尚象賢(しょうじょうけん)著,1650年成立。尚清(しょうせい)王代の1555年までが記述されるが,尚真(しょうしん)王代が欠落するなどの不備がある。王府独自の資料に加え,中国冊封使(さっぽうし)の記録,《保元物語》などを参考にして編纂されたものとみられる。《琉球史料叢書》所収。→尚氏
→関連項目中山世譜

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「中山世鑑」の解説

中山世鑑
ちゅうざんせいかん

1650年羽地朝秀(はねじちょうしゅう)(向象賢(しょうじょうけん))によって著された琉球王朝の最初の正史。全5巻。和文だが大方は中国年号を用いる。「世鑑」は「殷鑑遠からず」の語からとっており,後世の君臣の鑑となることを期してのもの。琉球の開闢(かいびゃく)から尚清王代(1527~55)までを扱うが,尚清王の前代の尚真王代の記載がまったくない。開闢神話や第一尚氏王統初代の舜天王を源為朝の子とした点など,のちの史書に大きな影響を与えた。のち漢文体で全面改訂したのが「中山世譜」である。「琉球史料叢書」所収。

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