中川八郎(読み)なかがわ はちろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中川八郎」の解説

中川八郎 なかがわ-はちろう

1877-1922 明治-大正時代洋画家
明治10年12月2日生まれ。松原三五郎,小山正太郎にまなぶ。風景画を得意とし,文展帝展の審査員をつとめた。明治34年太平洋画会の創立に参加。大正11年8月3日死去。46歳。愛媛県出身。作品に「北国の冬」「高原の花」「夏の朝」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の中川八郎の言及

【明治・大正時代美術】より

…これらの中では,《天平の面影》(1902)や《蝶》(1904)を描いた藤島武二と,彼の影響を受けて《海の幸》(1904)や《わだつみのいろこの宮》(1907)のように詩情豊かな浪漫的な作風をうち出した青木繁が傑出している。 明治美術会にも,欧米に学んだ中村不折,満谷(みつたに)国四郎(1874‐1936),吉田博(1876‐1950),鹿子木孟郎(かのこぎたけしろう)(1874‐1941),中川八郎(1877‐1922),河合新蔵(1867‐1936),丸山晩霞(1867‐1942),大下藤次郎などが現れて,1901年太平洋画会を興し,白馬会に対抗した。しかし07年文部省美術展覧会(文展)が設立されると,黒田のアカデミックな写実に印象派の色彩を加えた明るい外光主義の画風,すなわち美術学校と白馬会の画風が,日本のアカデミズムとして洋画界を支配するようになっていった。…

※「中川八郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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