中村歌右衛門(読み)ナカムラウタエモン

デジタル大辞泉 「中村歌右衛門」の意味・読み・例文・類語

なかむら‐うたえもん〔‐うたヱモン〕【中村歌右衛門】

歌舞伎俳優。屋号は初世と3世は加賀屋、2世は蛭子えびす屋、4世から成駒なりこま屋。
(初世)[1714~1791]金沢の人。医師の子。京坂で敵役の名人となった。
(3世)[1778~1838]初世の子。俳名、芝翫しかん梅玉ばいぎょく。ほとんどの役柄をこなし、3都を通じて文化・文政期(1804~1830)随一の名優といわれた。
(4世)[1798~1852]3世の門人、中村藤太郎。江戸の人。俳名、翫雀。時代物所作事にすぐれた。
(5世)[1866~1940]4世中村芝翫の養子。東京の人。その美貌と品格のある演技から、明治・大正・昭和の歌舞伎界で名女方といわれた。
(6世)[1917~2001]5世の子。東京の人。文化功労者人間国宝。昭和54年(1979)文化勲章受章。

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精選版 日本国語大辞典 「中村歌右衛門」の意味・読み・例文・類語

なかむら‐うたえもん【中村歌右衛門】

歌舞伎俳優。
[一] 初世。本名大関栄蔵。加賀国(石川県)金沢の医師の子。一七歳で敵役中村源左衛門に入門、寛保二年(一七四二)京都に上り、歌右衛門を名のる。以後京坂を本拠として活躍。江戸にも下る。実悪の第一人者。正徳四~寛政三年(一七一四‐九一
[二] 三世。本名大関市兵衛。俳名芝翫、梅玉。屋号加賀屋。初世の子。京坂を本拠に、江戸でも活躍し、兼ねる役者と呼ばれ、時代・世話・舞踊すべてにすぐれ、演出や意匠の工夫をし、梅玉型と呼ばれる多くの型を残した。金沢龍玉の名で作者もかねた。安永七~天保九年(一七七八‐一八三八
[三] 四世。俳名翫雀。江戸の振付師藤間勘十郎の養子で、三世に入門し、四世を襲名。天保・弘化・嘉永期(一八三〇‐五四)の江戸・京坂を代表する名優で、時代物の立役、所作事を得意とした。寛政一〇~嘉永五年(一七九八‐一八五二
[四] 五世。若女形。本名中村栄次郎。江戸出身。四世中村芝翫の養子。明治四四年(一九一一)五世を襲名。大正・昭和初期の歌舞伎界の第一人者として活躍した。慶応元~昭和一五年(一八六五‐一九四〇
[五] 五世の次男。本名河村藤雄。六世福助、六世芝翫を経て、昭和二六年(一九五一)六世を襲名。戦後の歌舞伎女形の第一人者。昭和五四年(一九七九)文化勲章受章。大正六~平成一三年(一九一七‐二〇〇一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中村歌右衛門」の意味・わかりやすい解説

中村歌右衛門
なかむらうたえもん

歌舞伎(かぶき)俳優。

初世(1714―1791)加賀(かが)国(石川県)金沢で医師の家に生まれる。屋号加賀屋。1742年(寛保2)中村歌之助から歌右衛門と改名。宝暦(ほうれき)・明和(めいわ)・安永(あんえい)・天明(てんめい)年間(1751~1789)に上方(かみがた)で活躍、主として初世並木正三(しょうざ)と提携し、実悪(じつあく)の第一人者であった。のち加賀屋歌七(かしち)と改名。

2世(1752―1798)初世の門弟。上方の敵(かたき)役。1782年(天明2)初世から譲られて2世歌右衛門を名のったが、事情があって1790年(寛政2)中村家に名を返し、ふたたび前名の中村東蔵(とうぞう)に戻った。

3世(1778―1838)初世の実子。屋号加賀屋。俳名芝翫(しかん)、のちに梅玉(ばいぎょく)。金沢竜玉(りゅうぎょく)と名のって狂言作者を兼ねた。1791年(寛政3)加賀屋福之助から3世を襲名した。上方の俳優であるが、前後3回江戸に下り、3世坂東(ばんどう)三津五郎と競演して人気を二分するほどの名声を得た。大坂での人気はすさまじいばかりで、名優2世嵐吉三郎(あらしきちさぶろう)と対抗して争った。文化・文政(ぶんかぶんせい)年間(1804~1830)を代表する名優で、1835年(天保6)に「古今無類総芸頭(げいがしら)」の最高位に上った。立役(たちやく)、実悪のほか女方(おんながた)や所作事(しょさごと)にも優れ、「兼(か)ネル」という名誉の称号を受けた。『忠臣蔵(ちゅうしんぐら)』の七役・九役、所作事の七変化(へんげ)・九変化などを自由自在にこなし、化政(かせい)期の歌舞伎俳優にもっともふさわしい名優だったといえる。研究熱心で演出上のくふうも多く、後世に梅玉型とよぶ型を残した。

4世(1798―1852)幕末期の江戸の名優。3世の門弟。屋号成駒(なりこま)屋。江戸の孔雀(くじゃく)茶屋の息子に生まれる。初め藤間(ふじま)勘十郎の門に入り、中村藤太郎(とうたろう)、鶴助(つるすけ)、2世芝翫を経て、1836年(天保7)大坂で4世歌右衛門を継いだ。師の3世と同様に、立役、実悪、武道(ぶどう)、荒事(あらごと)、女方を兼ね、所作事にも優れていた。3世が3世三津五郎と競ったように、彼もまた4世三津五郎と人気を争った。『一谷(いちのたに)』の熊谷(くまがい)、『菅原(すがわら)』の松王など、スケールの大きい時代物に当り役が多い。

5世(1865―1940)4世中村芝翫の養子。屋号成駒屋。俳名魁玉(かいぎょく)。幼年時代は養父とともに旅興行に従っていたが、1881年(明治14)新富座(しんとみざ)に出演して4世中村福助となる。1901年(明治34)に5世芝翫、11年に5世歌右衛門を襲名。明治後期から大正を経て昭和初期にかけて歌舞伎界を代表する名女方で、明治の団・菊・左亡きあとの歌舞伎界の統率者として、歌舞伎座幹部技芸委員長や俳優協会会長をも務めた。気品のあふれる容貌(ようぼう)と風格を備え、時代物の赤姫や貫禄(かんろく)を必要とする片はずしの役に当り役が多い。一方、新作にも意欲をみせ、とくに坪内逍遙(しょうよう)作『桐一葉(きりひとは)』『沓手鳥孤城落月(ほととぎすこじょうのらくげつ)』の淀君(よどぎみ)は、その美貌、品格ある芸のうえに近代感覚を注入した人物創造が高く評価された。

6世(1917―2001)本名河村藤雄(ふじお)。5世の次男。屋号成駒屋。児太郎(こたろう)、6世福助、6世芝翫を経て、1951年(昭和26)6世を襲名。天性の美貌、品位のうえに繊細華麗な芸をはぐくみ、時代物の姫、『先代萩(せんだいはぎ)』の政岡(まさおか)などの片はずしの役、意気地や張りをみせる遊女の役などに独自の芸境をみせる。古典歌舞伎女方の第一人者で、日本俳優協会会長を務めた。1963年日本芸術院会員、1968年「歌舞伎女方」の重要無形文化財保持者、1979年には文化勲章を受けた。

[服部幸雄]

『河村藤雄著『六代目中村歌右衛門』(1986・小学館)』『6世歌右衛門・山川静夫著『歌右衛門の六十年』(岩波新書)』『渡辺保著『女形の運命』(1974・紀伊國屋書店)』『秋山勝彦著『女形六世中村歌右衛門』(1994・演劇出版社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「中村歌右衛門」の意味・わかりやすい解説

中村歌右衛門 (なかむらうたえもん)

歌舞伎俳優。初世から4世までは立役の名前であったが,5世,6世と女方の名優がつづき,現代では女方の代表的な芸名の一つになった。2世を除いて各代がそれぞれの時代の歌舞伎を代表する名優で,歌舞伎界でも由緒のある家系の一つである。(1)初世(1714-91・正徳4-寛政3) 加賀国金沢の医師の子。俳名一洗。屋号加賀屋。江戸中期の大坂の名優。17歳の時旅役者の群に投じ,のちに立身出世して,敵役から立役を兼ねる名人になった。なかでも実悪と呼ばれる悪人の役柄を大成する。当り役は,日本駄右衛門,清水清玄,桑名屋徳蔵,蘇我入鹿など。同時代の作者初世並木正三と連帯して大坂の舞台で活躍した。正三の作品の中で,スケールの大きい,悪の華とでもいうべき敵役は,ほとんどこの役者にはめて書かれたものである。気品があり,目が大きく,執念深い役に適した芸風であったという。1782年(天明2)門人中村東蔵に名を譲り,加賀屋歌七となる。(2)2世 初世の門人中村東蔵が1782年(天明2)に師の名をついだが,事情があって初世の死の前年すなわち90年(寛政2),中村家に歌右衛門の名跡を返上した。(3)3世(1778-1838・安永7-天保9) 初世歌右衛門の実子。加賀屋。俳名梅玉。加賀屋福之助から,1791年(寛政3)11月歌右衛門を襲名。一時中村芝翫(しかん)を名のるが,また歌右衛門となり,のち中村玉助,中村梅玉(初世)と改名。通称加賀屋歌右衛門あるいは梅玉歌右衛門。文化・文政期(1804-30)の大坂の名優。敵役,立役,女方,所作事を得意とし,和事,二枚目を除くほとんどの役柄にその万能の天才を発揮した。小柄でしゃがれた声,風采が上がらなかったにもかかわらず,芸がうまく,器用で,しかも工夫に富んだ芸風で三都の劇壇を席捲した。ことに変化舞踊で当時の江戸の名優3世坂東三津五郎と対抗した話や,上方の名優2世嵐吉三郎(璃寛)との激しい人気争いは有名である。役柄の分担を越えてどんな役でもやる風潮を作ったこと,現存する丸本歌舞伎の演出(たとえば《逆櫓》の樋口など)の基礎を作ったことの2点で功績を残した。その後世への影響は大きい。1820年(文政3)から狂言作者を兼ね,金沢竜玉の名で台帳も書いた。(4)4世(1798-1852・寛政10-嘉永5) 幕末の江戸の名優。江戸孔雀茶屋の息子に生まれ,初め藤間勘十郎(3世藤間勘兵衛)の門弟となり,中村藤太郎,鶴助,2世芝翫を経て,1836年(天保7)正月歌右衛門を襲名。屋号成駒屋。俳名翫雀。通称成駒屋歌右衛門,または翫雀歌右衛門。3世と違って大兵肥満の立派な風采で,熊谷,松王,石川五右衛門を得意とした。世話物は不得意であったが,スケールの大きい形と動きの華麗さは無類であったという。舞踊を得意とし,立役でありながら女方をもつとめて,その秘法を9世団十郎に伝えた。(5)5世(1865-1940・慶応1-昭和15) 4世芝翫の養子。成駒屋。俳名魁玉。4世中村福助から5世芝翫となり,1911年歌右衛門をつぐ。明治後期から昭和初期にかけての代表的な女方。9世団十郎,5世菊五郎の相手役をつとめ,2人の没後,女方でありながら歌舞伎界の頭領的存在となった。気品にあふれる芸風と美貌で,《十種香》の八重垣姫や《鎌三》の時姫など時代物の姫,《先代萩》の政岡や《忠臣蔵》の戸無瀬などの片はずしを得意とした。その肚芸は,鉛毒のため体が不自由であったにもかかわらず,歌舞伎座の観客を陶酔させた。一方,新作にも意欲をもち,坪内逍遥の《桐一葉》や《沓手鳥孤城落月(ほととぎすこじようのらくげつ)》の淀君を初演。近代感覚をもって淀君像をつくり上げた。(6)6世(1917-2001・大正6-平成13)成駒屋。5世の次男。児太郎,6世福助,6世芝翫を経て,1951年歌右衛門を襲名。現代歌舞伎の代表的女方。繊細華麗な芸風は,娘役や姫を得意とすると同時に《籠釣瓶》の八ッ橋など遊女の役に長じる。また《道成寺》《関の扉》《将門》など舞踊も得意。79年文化勲章を受章した。
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百科事典マイペディア 「中村歌右衛門」の意味・わかりやすい解説

中村歌右衛門【なかむらうたえもん】

歌舞伎俳優。現在6世。屋号は3世まで加賀屋,4世以後成駒(なりこま)屋。初世〔1714-1791〕は金沢の医師の子。京坂の敵(かたき)役の名人。3世〔1778-1838〕は初世の子。立役(たちやく),敵役,舞踊など広い芸域にわたる名優で,京坂から江戸にかけて活躍。金沢竜玉の名で脚本も書いた。5世〔1865-1940〕は4世中村芝翫(しかん)の養子。4世中村福助,5世芝翫を経て襲名。容貌(ようぼう)・品位ともすぐれた女方で,明治末から大正・昭和にかけて劇界を統率。《先代萩》の政岡,《本朝廿四孝》の八重垣姫など時代物のほか,《桐一葉》の淀君のような新史劇も開拓した。6世〔1917-2001〕は5世の次男。6世福助,6世芝翫を経て1951年襲名。現代を代表する女方で1968年人間国宝。1979年文化勲章。
→関連項目越後獅子成駒屋坂東三津五郎

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