中津江(読み)なかつえ

日本歴史地名大系 「中津江」の解説

中津江
なかつえ

かつて境江湖さかいえごとよばれた江湖で、田手たで川から分れて筑後川に注ぐ。この地域一帯は洪水による被害が大きい。

旧来この筑後川支流の両岸(佐賀県の迎島むかいじま側と福岡県の浮島うきしま側)の堤防は同じ高さに築堤されていたが、浮島側は明治初年頃から堤防のかさ上げをして迎島側からの洪水の流入を防いだ。これに対し迎島の五集落では苦情を申し入れていた。明治一八年(一八八五)六月の大風雨による洪水の排水のため、迎島住民は大挙して浮島側の堤防を切り落し、首謀者が検挙されるという事件が発生。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中津江」の意味・わかりやすい解説

中津江
なかつえ

大分県西部,日田市南西部の旧村域。大山川支流の鯛生川流域にあり,東は福岡県,南西は熊本県に接する。 1889年村制施行。 2005年日田市に編入。ほとんどが山林で,山林経営を兼業する農家が多い。日田杉,津江杉の産地。鯛生川上流の鯛生鉱山はかつて日本最大の金山として知られたが,1971年閉山。廃坑跡に地底博物館がある。村の東端,筑後川総合開発計画に基づく下筌ダムはダム建設反対の地元住民が籠城した蜂の巣城事件のため着工が約 10年遅れたが,1969年に完成。ダム基部に発電所がある。北の渡神岳 (1150m) ,南の酒呑童子山 (1181m) などは津江山系県立自然公園に属する。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中津江」の意味・わかりやすい解説

中津江
なかつえ

大分県西部、日田(ひた)郡にあった旧村名(中津江村(むら))。現在は日田市の南部にあたる地域。2005年(平成17)日田市に編入。旧村名は、古代以来の地方称津江の中ほどに位置することにちなむ。大部分が古い安山岩山地で、杉を主とする山林率は90%に達し、筑後(ちくご)川水系の鯛生(たいお)川、津江川の谷にわずかに水田をみる。地域の80%が津江山系県立自然公園に入り、地底博物館鯛生金山、室町時代の伝来寺庭園、下筌(しもうけ)ダムが観光地。国道442号、387号が通過する。

[兼子俊一]

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改訂新版 世界大百科事典 「中津江」の意味・わかりやすい解説

中津江 (なかつえ)

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