中郷(読み)なかんごう

日本歴史地名大系 「中郷」の解説

中郷
なかんごう

大淀川東岸、萩原はぎわら川と年見としみ川流域に比定される。現都城市豊満とよみつ町・安久やすひさ町・上長飯かみながえ町・下長飯町・早鈴はやすず町・姫城ひめぎ町・一万城いちまんじよう町一帯から現三股みまた町西部にあたるか。

建久図田帳には島津庄一円庄の内に諸県もろかた郡の「中郷百八丁」(応永の追記では一八〇町)がみえ、地頭は島津忠久であった。平安末期以降の系譜を記す志々目家系図(志々目文書)によれば、平安後期の藤原宗義(藤太夫)に「中郷弁済使」の注記がみえる。その孫義良・安兼以降富山を称する者があり、島津庄の庄官富山氏を形成した。富山氏は中郷の富山とみやまを本貫としており、同地は現安久町もしくは豊満町辺りと考えられる。また文永八年(一二七一)七月一六日の島津庄留守沙弥某下文(同文書)には「中郷地頭代」として数年の間年貢を抑留している馬入道道西がみえ、道西はかつては串良くしら(現鹿児島県串良町)地頭代、当時は救仁くに(現同県志布志町など)地頭方沙汰人を勤めていた。文保二年(一三一八)三月二三日の関東下知状并島津道義譲状案(樺山文書)には、島津道義(忠宗)勲功の賞として宛行われた「山西ニ中郷」を六男資忠(北郷氏)分として譲与するとある。ただしこの文書は検討を要する。

中郷姫木ひめぎに城が築かれ、建武三年(一三三六)五月五日、肝付兼重らの籠る姫木城は大隅守護代らの攻撃を受けた(同年六月日「柿木原政家軍忠状」・「肝付兼重伝」旧記雑録)。応安八年(一三七五)三月二三日、島津氏久は富山義弘の求めにより、その相伝知行の島津庄日向方中郷内の富山・安久名・和里木わりき名・秋永あきなが名の安堵室町幕府に申請した(「島津氏久挙状写」志々目文書)。この地域が中郷の中心であったと考えられるが、安久・和里木・秋永はその後中郷西方としてみえるから(応永三二年「中郷西方本田市王丸内検馬上取帳」鬼束文書など)、富山氏が確保したのは中郷西方であった可能性もある。

中郷
ちゆうごう

川内川下流右岸に位置し、川内平野の北東部を占める薩摩郡の郷。北西は高城たき郡高城郷、西は高城郡水引みずひき郷。鹿児島藩直轄の外城で小之郷に位置付けられ(列朝制度)鹿児島城下からの距離は一二里半(「薩藩政要録」など)中郷村一ヵ村からなり、地頭仮屋は前畑まえばたにあった。天正二年(一五七四)八月時の中郷地頭は鳥丸紀伊介であった(「上井覚兼日記」同年八月九日条)。郷高(所惣高)は正徳三年(一七一三)頃には一千五六八石余(藤井本「要用集抄」)、文政九年(一八二六)には一千二九八石余(薩藩政要録)。衆中・人員関係は、寛永一三年(一六三六)の堺目人数・武具注文(旧記雑録)では人数四七七人、うち男二九四人、鉄砲九挺・弓一〇張・鑓八本が配備されていた。

中郷
なかのごう

現三ヶ日に比定される伊勢神宮領浜名神戸の中心地。文永八年(一二七一)五月二五日の大中臣定世下文写(公文抄)によると、伊勢神宮祭主大中臣定世が小長谷光を「浜名神戸中郷」の刀禰に補任し、高屋弘近の替として御神酒鎌を兼帯させているが、同下文写には検討の余地がある。正応元年(一二八八)一〇月にはこの年の三月六日に焼失した大福だいふく寺本堂が再建され、鍛冶として当郷の惣大夫がかかわっている(「大福寺諸堂造建記」大福寺文書)

中郷
ならなかごう

和名抄」高山寺本に「楢中」、刊本に「猶中」とあり、ともに訓を欠く。「大和志」は「楢中ならなか方廃楢村存」として現天理市なら町に比定。欠年の勘籍歴名(正倉院文書)に「大倭国添上郡楢中郷」、天暦八年(九五四)の秦阿禰子家地売券(関戸守彦所蔵文書)に「添上郡楢中郷五条五里一坪、四至限東東大寺僧寿祚私地并中垣」とある。

中郷
なかごう

那珂なか川と御笠みかさ川に挟まれた現博多区中央部から春日市にかけた地域に比定される。諸岡もろおか川が中央部を貫流する。鎌倉時代後期と推定される筥崎宮造営材木目録(石清水文書/筥崎宮史料)に「中村」とみえ、本領主は筥崎宮権大宮司安倍義氏で、当地と「堅糟東崎」の二ヵ所は修理料所として同宮南宝蔵の造営費用を負担し、南宝蔵は弘安五年(一二八二)一月に棟上げしている。

中郷
なかごう

天正一九年(一五九一)一二月二〇日の伊勢大神宮神田注文(蚊屋島神社文書)に「中郷分」とあり、大神宮(現日吉津村蚊屋島神社)の神田があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「中郷」の意味・わかりやすい解説

中郷
なかごう

新潟県南西部、中頸城郡(なかくびきぐん)にあった旧村名(中郷村(むら))。現在は、上越(じょうえつ)市の南東部を占める一地区。2005年(平成17)安塚(やすづか)町、柿崎(かきざき)町、大潟(おおがた)町、吉川(よしかわ)町、板倉(いたくら)町、名立(なだち)町、浦川原(うらがわら)村、大島(おおしま)村、牧(まき)村、頸城(くびき)村、清里(きよさと)村、三和(さんわ)村とともに上越市に編入。旧村域は、妙高火山東麓(とうろく)に位置し、えちごトキめき鉄道(旧、JR信越本線)、国道18号が通じ、上信越自動車道の中郷インターチェンジがある。近世まで北国街道(ほっこくかいどう)沿いの純山村にすぎなかったが、1920年(大正9)信越本線二本木駅前に日本曹達(ソーダ)二本木工場が誘致されて以来、カ性ソーダの町として全国的に知られた。松ヶ峰(まつがみね)温泉、遊園地(妙高サンシャインランド)、ゴルフ場などが開発され、観光地としても知られるようになった。

[山崎久雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中郷」の意味・わかりやすい解説

中郷
なかごう

新潟県南西部,上越市南西部の旧村域。妙高山の北東斜面にある。 2005年上越市に編入。中心集落の二本木に関川水系の電力を利用したカセイソーダ工場があり,カセイソーダ,ソーダ薬品を産する。周辺では米のほかカシグルミを産する。上越市の中心地区とは妙高市を挟んで JR信越本線,国道 18号線で結ばれる。

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改訂新版 世界大百科事典 「中郷」の意味・わかりやすい解説

中郷 (なかごう)

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