丸尾文六(読み)まるお・ぶんろく

朝日日本歴史人物事典 「丸尾文六」の解説

丸尾文六

没年:明治29.5.1(1896)
生年天保3.8.1(1832.8.26)
明治期の茶業家,政治家。遠江国(静岡県)城東郡池新田村に生まれる。明治初年大井川渡船開設のため失業した東海道金谷宿,島田宿の川越人足の布引原(大井川下流西岸,牧ノ原)への入植計画を推進,輸出の増大によって発展した茶の栽植を指導し,自らも茶園を経営。また米国向け製茶直輸出会社の設立,運営にかかわった。17年以降静岡県茶業組合取締所総括,静岡県茶業組合連合会議長などを歴任他方,政界では9年以降浜松県民会議長,静岡県会議員,県会議長を務め,25年から3回衆議院議員当選,立憲改進党に属した。<参考文献>静岡県茶業組合連合会議所編『静岡県茶業史』

(海野福寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「丸尾文六」の解説

丸尾文六 まるお-ぶんろく

1832-1896 明治時代実業家,政治家。
天保(てんぽう)3年8月1日生まれ。大井川の川越し人足の失業対策として牧ノ原の開墾,茶の栽培おこない,製茶の直輸出をこころみた。静岡県茶業組合連合会議所事務長などをつとめ,県会議員をへて明治25年衆議院議員(当選3回,立憲改進党)。明治29年5月1日死去。65歳。遠江(とおとうみ)(静岡県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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