20世紀日本人名事典 「亀井 文夫」の解説
亀井 文夫
カメイ フミオ
昭和期の映画監督 日本ドキュメントフィルム代表。
- 生年
- 明治41(1908)年4月1日
- 没年
- 昭和62(1987)年2月27日
- 出生地
- 福島県原町市
- 学歴〔年〕
- 文化学院美術科〔昭和3年〕中退
- 主な受賞名〔年〕
- 平和文化賞〔昭和32年〕「生きていてよかった」「砂川」
- 経歴
- 昭和3年ソ連に渡りレニングラード映画演劇学校に学び、6年帰国。9年PCL(現・東宝)に入り、12年長編記録映画「上海」を製作して作家の反戦姿勢が反響を呼び、注目を集める。14年「戦ふ兵隊」が軍部の忌諱にふれ、上映禁止処分をうける。16年治安維持法で検挙されて退社。戦後東宝に復帰、21年製作の「日本の悲劇」はGHQにより公開禁止となった。23年の東宝争議後フリーとなり、29年日本ドキュメンタリーフィルム社を主宰。40年頃一時映画を離れ、古美術店を経営する。日本の記録映画の先達であり、一貫して進歩的社会派の作品を撮り続ける。他の代表作に「北京」「小林一茶」「戦争と平和」「世界は恐怖する」「流血の記録―砂川」「基地の子たち」「砂川の人々」「ヒロシマの声」「人間みな兄弟―部落差別の記録」「生きていてよかった」など。58年からエコロジーをテーマした記録映画「生物みなトモダチ」の制作に取り組んでいた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報