精選版 日本国語大辞典 「二条天皇」の意味・読み・例文・類語
にじょう‐てんのう ニデウテンワウ【二条天皇】
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平安後期の天皇(在位1158~65)。名は守仁(もりひと)。康治(こうじ)2年6月17日生まれ。後白河(ごしらかわ)天皇の第一皇子。母は藤原経実(つねざね)の娘懿子(いし)(源有仁(ありひと)の養女となる)。近衛(このえ)天皇が後嗣(こうし)の決まらないまま早世したとき、祖父鳥羽(とば)上皇、養母美福門院(びふくもんいん)(藤原得子(とくし))、関白藤原忠通(ただみち)らは、守仁を皇位につけようと画策した。しかし、父雅仁(まさひと)を差し置いて実現できず、1155年(久寿2)その即位(後白河天皇)と同時に皇太子となり、保元(ほうげん)の乱が後白河天皇方の勝利に終わると、父の譲位によって58年(保元3)即位した。しかし、後白河上皇、信西(しんぜい)らの院政派と二条天皇らの親政派との併立は平治(へいじ)の乱に発展していった。65年(永万1)6月皇子順仁(のぶひと)親王に譲位し(六条(ろくじょう)天皇)、7月28日死去。墓は京都市北区平野八丁柳(ひらのはっちょうやなぎ)町の香隆寺(こうりゅうじ)陵。
[川島茂裕]
『安田元久著『日本の歴史7 院政と平氏』(1974・小学館)』
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(櫻井陽子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
1143.6.17~65.7.28
在位1158.8.11~65.6.25
後白河天皇の第1皇子。名は守仁(もりひと)。母は藤原経実の女懿子(いし)。藤原得子(美福門院,鳥羽上皇皇后)に養育され,出家を予定されていたが,近衛天皇が死去したため,鳥羽法皇によってにわかに皇位継承者とされた。1155年(久寿2)後白河の皇太子に立ち,58年(保元3)譲位をうけて践祚(せんそ)。後白河上皇の院政を認めずみずから政治にあたったが,23歳の若さで死去した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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