朝日日本歴史人物事典 「五十嵐道甫(初代)」の解説
五十嵐道甫(初代)
生年:生年不詳
江戸前期の蒔絵師。法名は道甫日等。祖父は宗清,父は一初甫斎。小堀遠州の斡旋により加賀(金沢)藩主前田利常に召され,蒔絵御用を仰せ付かりしばしば金沢に下向したが,京で没した。基準作に延宝5(1677)年銘の蓮華寺旧蔵「蓮池蒔絵舎利厨子」がある。京都上京須磨町に住して代々蒔絵を業とし,また京都本法寺の檀那で,本阿弥家など京都上層町衆との間に法華信仰により強く結ばれた姻戚関係にあった。 2代道甫は寛永12(1635)年生まれ。元禄10年6月24日(1697.8.10)没。初代道甫の実子で,俗名喜三郎,法名鷲嶺院道甫日了。貞享1(1684)年前田綱紀に召されて金沢に移り,貞享3年ごろにはすでに金沢に居住し,金沢で没した。実子の喜三郎が元禄6(1693)年に25歳で没したため,養子が喜三郎を名乗り五十嵐家3代目を継いだ。今日まで2代道甫父子・養子の3名の喜三郎の存在が確認されなかったため,喜三郎に関する記述に混乱が生じていた(『前田貞親手記』)。養子の喜三郎没後,その技芸は弟子筋の庄兵衛,宗兵衛の2家系によって幕末まで受け継がれた。<参考文献>内田篤呉(共著)「五十嵐道甫考」(『漆工史』12号),「京都本法寺教行院過去帳」
(内田篤呉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報