五所平之助(読み)ゴショヘイノスケ

デジタル大辞泉 「五所平之助」の意味・読み・例文・類語

ごしょ‐へいのすけ【五所平之助】

[1902~1981]映画監督。東京の生まれ。昭和6年(1931)日本最初の本格的トーキー作品「マダムと女房」を製作。また、文芸映画に優れた手腕をみせた。代表作伊豆の踊子」「煙突の見える場所」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「五所平之助」の意味・わかりやすい解説

五所平之助
ごしょへいのすけ
(1902―1981)

映画監督。明治35年2月1日、東京生まれ。慶応義塾商工学校卒業。1923年(大正12)松竹蒲田(かまた)撮影所に入社。島津保次郎(やすじろう)監督の助手を経て1925年に監督昇進、1927年(昭和2)の『恥しい夢』と『からくり娘』で認められ、1928年の『村の花嫁』の、きめ細かな映画表現が高く評価された。1931年には、国産トーキーによる日本最初の本格的劇映画『マダムと女房』で小市民生活のスケッチに成功、以後、庶民生活を温かく、叙情的に見つめた作品に真価を発揮した。1930年代、1940年代のおもな作品には、田中絹代主演のサイレント版『伊豆の踊子』(1933)、『人生のお荷物』(1935)、『花籠(はなかご)の歌』(1937)、『木石(ぼくせき)』(1940)、『新雪(しんせつ)』(1942)などがある。第二次世界大戦後は『今ひとたびの』(1947)で復帰、1968年の人形劇映画『明治はるあき』まで多くのジャンルの作品を手がけたが、戦後の社会風俗と2組の男女の愛と連帯を描いた『煙突の見える場所』(1953。ベルリン国際映画祭入賞)が代表作。昭和56年5月1日没。

[千葉伸夫]

資料 監督作品一覧

南島の春(1925)
空は晴れたり(1925)
男ごゝろ(1925)
青春(1925)
当世玉手箱(1925)
街の人々(1926)
初恋(1926)
お坊ちゃん[応援監督](1926)
母よ恋し(1926)
奔流(1926)
娘(1926)
帰らぬ笹笛(1926)
いとしの我子(1926)
彼女(1926)
寂しき乱暴者(1927)
恥しい夢(1927)
からくり娘(1927)
処女の死(1927)
おかめ(1927)
東京行進曲(1927)
好きなればこそ(1928)
村の花嫁(1928)
道楽御指南(1928)
神への道(1928)
人の世の姿(1928)
街頭の騎士(1928)
母よ君の名を汚す勿れ(1928)
夜の牝猫(1929)
新女性鑑(1929)
親父とその子(1929)
浮世風呂(1929)
情熱の一夜(1929)
独身者御用心(1930)
大東京の一角(1930)
微笑む人生(1930)
女よ!君の名を汚す勿れ(1930)
処女入用(1930)
絹代物語(1930)
愛慾の記(1930)
女給哀史(1931)
夜ひらく(1931)
マダムと女房(1931)
島の裸体事件(1931)
愚弟賢兄(1931)
若き日の感激(1931)
兄さんの馬鹿(1932)
銀座の柳(1932)
天国に結ぶ恋(1932)
撮影所ロマンス 恋愛案内(1932)
不如帰(ほととぎす)(1932)
恋の東京(1932)
花嫁の寝言(1933)
伊豆の踊子(1933)
十九の春(1933)
処女よ、さよなら(1933)
愛撫(ラムール)(1933)
女と生れたからにゃ(1934)
さくら音頭(1934)
生きとし生けるもの(1934)
花婿の寝言(1935)
左うちわ(1935)
吹けよ恋風(1935)
あこがれ(1935)
人生のお荷物(1935)
奥様借用書(1936)
朧夜(おぼろよ)の女(1936)
新道 前篇 朱実の巻・後篇 良太の巻(1936)
花籠の歌(1937)
木石(1940)
新雪(1942)
五重塔(1944)
伊豆の娘たち(1945)
今ひとたびの(1947)
面影(1948)
わかれ雲(1951)
朝の波紋(1952)
煙突の見える場所(1953)
大阪の宿(1954)
愛と死の谷間(1954)
鶏はふたゝび鳴く(1954)
たけくらべ(1955)
或る夜ふたたび(1956)
黄色いからす(1957)
晩歌(1957)
螢火(1958)
欲(1958)
蟻(あり)の街のマリア(1958)
からたち日記(1959)
「通夜の客」よりわが愛(1960)
白い牙(1960)
猟銃(1961)
雲がちぎれる時(1961)
愛情の系譜(1961)
かあちゃん結婚しろよ(1962)
100万人の娘たち(1963)
恐山の女(1965)
かあちゃんと11人の子ども(1966)
宴(1967)
女と味噌汁(1968)
明治はるあき(1968)

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改訂新版 世界大百科事典 「五所平之助」の意味・わかりやすい解説

五所平之助 (ごしょへいのすけ)
生没年:1902-81(明治35-昭和56)

映画監督。東京の神田に生まれる。日本最初の本格的トーキー《マダムと女房》(1931),川端康成の小説《伊豆の踊子》の最初の映画化(1933,サイレント),高見順の〈焼跡の恋愛小説〉を映画化した純愛メロドラマ《今ひとたびの》(1947),作家の椎名麟三とのコンビによる名作《煙突の見える場所》(1953)などの監督として知られる。また,女優・田中絹代を人気スターに育て上げた功績もある。彼女の出世作になった《恥しい夢》(1927),絹代ファンをいっきょに倍増させたといわれる《絹代物語》(1930)をはじめ,《マダムと女房》では初めて〈ねえ,あなた〉という彼女の甘ったるい声を聞かせ,《伊豆の踊子》ではそのかれんさを印象づけるといったぐあいに,その持味を最大限に引き出した。97本の五所監督作品中23本にまで彼女が出演している。本名,五所平右衛門。商人(乾物問屋)の子として生まれ,商人の教育を受けるが,劇作家を志し,俳句を愛し,映画に狂い,1923年,松竹蒲田撮影所に入社。島津保次郎の助監督をへて,25年,監督に昇進。第1回作品は《南島の春》(1925)。《からくり娘》(1927),《村の花嫁》(1928)などで注目される。その映画的特質は人間の心理の微妙な動きを柔らかな画調でとらえ(三浦光雄カメラマンとのコンビの作品が多い),巧緻(こうち)なカット割りで描き出す〈抒情性〉〈情緒〉にあると評されている。五所自身は,日常スケッチ風ナンセンス喜劇《マダムと女房》や小津安二郎作品とはひと味ちがうユーモアとペーソスに包まれた〈小市民映画〉の佳作として知られる《人生のお荷物》(1935)など,戦前の松竹蒲田映画から,戦後の椎名麟三の文学との出会い(《煙突の見える場所》《鶏はふたたび鳴く》1954,など)をへて,初のカラー作品《黄色いからす》(1957),ライトバンで味噌汁を売る芸妓を描いた《女と味噌汁》(1968)に至るまで,そこに通底するものは〈庶民の実感〉〈日常生活の中の人間喜劇〉であると述べている。
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百科事典マイペディア 「五所平之助」の意味・わかりやすい解説

五所平之助【ごしょへいのすけ】

映画監督。東京生れ。慶応商工卒。サイレント映画時代から活躍し,日本最初の本格的トーキー作品《マダムと女房》(1931年)を発表。また,川端康成原作《伊豆の踊子》(1933年)は文芸映画の先達となった。椎名麟三原作の《煙突の見える場所》(1953年)は国際映画祭で初めて受賞した日本の現代劇映画。庶民の日常をユーモラスに描いた作品が多い。
→関連項目伊豆の踊子城戸四郎島津保次郎松竹[株]田中絹代

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「五所平之助」の意味・わかりやすい解説

五所平之助
ごしょへいのすけ

[生]1902.1.24. 東京
[没]1981.5.1. 静岡
映画監督。慶應義塾商工学校卒業。 1923年松竹に入社,島津保次郎の助監督を経て,『南島の春』 (1925) 以後監督。抒情味ある庶民生活を追求した作品が多い。無声時代には『寂しき乱暴者』 (1927) ,『からくり娘』 (1927) ,『村の花嫁』 (1928) を発表。本格的トーキー第1作『マダムと女房』 (1931) では,得意の小市民劇を巧みな音声効果で処理し成功を収めた。川端康成原作の『伊豆の踊子』 (1933) は文芸映画台頭の先駆となり,第2次世界大戦後も『今ひとたびの』 (1947) などの文学作品の映画化が多い。椎名麟三原作の『煙突の見える場所』 (1953) は,ベルリン国際映画祭で平和賞を受賞。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「五所平之助」の解説

五所平之助 ごしょ-へいのすけ

1902-1981 大正-昭和時代の映画監督。
明治35年2月1日生まれ。大正12年松竹蒲田(かまた)撮影所にはいり,昭和6年日本最初のトーキー映画「マダムと女房」をつくる。28年「煙突の見える場所」でベルリン映画祭国際平和賞。昭和56年5月1日死去。79歳。東京出身。慶応義塾商工学校卒。本名は平右衛門。代表作は「伊豆の踊子」「今ひとたびの」など。

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世界大百科事典(旧版)内の五所平之助の言及

【伊豆の踊子】より

…1933年製作。監督は五所平之助,主演は田中絹代と大日方伝。伊豆天城の美しい風景のなか,抒情と感傷にあふれた映像詩として描かれている。…

【田中絹代】より

…山口県下関に生まれ,14歳で松竹蒲田撮影所に入社。出世作《恥しい夢》(1927)からファンの人気を一身に集めたヒット作《絹代物語》(1930)をへて,日本映画における最初の本格的トーキー《マダムと女房》(1931),川端康成原作の《伊豆の踊子》の最初の映画化(1933)等々に至る五所平之助監督作品を中心に,《感激時代》(1928)から《山の凱歌》(1929)に至る鈴木伝明主演,牛原虚彦監督による青春スポーツ編や,《大学は出たけれど》(1929)から《落第はしたけれど》(1930)に至る小津安二郎監督作品,トーキー最初の《金色夜叉》や《忠臣蔵》(ともに1932)をへて《私の兄さん》(1933)に至る林長二郎とのコンビ作品などを通して,〈明るくあたたかく未来を見つめる〉蒲田映画のシンボルとなり,〈蒲田の誇り〉とまでたたえられ,スター女優第1号の栗島すみ子を抜いて松竹蒲田の看板スターになる。早慶戦の花形選手だった慶応の名三塁手・水原茂とのロマンスをうたわれ,次いで谷崎潤一郎の小説《春琴抄》の最初の映画化で島津保次郎監督による《お琴と佐助》(1935)で〈演技開眼〉して新境地をひらき,〈すれちがいメロドラマ〉ということばまで生み出した大ヒット作《愛染かつら》三部作(1938‐39)で人気の頂点に達した。…

【マダムと女房】より

…日本映画最初の〈本格的トーキー〉として知られる五所平之助監督作品。1931年製作。…

※「五所平之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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