五所 平之助(読み)ゴショ ヘイノスケ

20世紀日本人名事典 「五所 平之助」の解説

五所 平之助
ゴショ ヘイノスケ

大正・昭和期の映画監督,俳人



生年
明治35(1902)年2月1日

没年
昭和56(1981)年5月1日

出生地
東京市神田区鍋町(現・東京都千代田区)

本名
五所 平右衛門

別名
俳号=五所亭

学歴〔年〕
慶応義塾商工学校〔大正10年〕卒

主な受賞名〔年〕
ベルリン国際映画祭国際平和賞〔昭和28年〕「煙突の見える場所」

経歴
大正12年松竹蒲田撮影所に助監督として入社、島津保次郎監督に師事して14年「南島の春」で監督デビュー。昭和6年日本で初めての本格的トーキー映画マダム女房」を発表。無声映画時代から戦後まで、監督した作品は約100本。代表作に「村の花嫁」「伊豆の踊子」「人生のお荷物」「新雪」「今ひとたびの」「煙突の見える場所」(28年のベルリン国際映画祭で入賞)「大阪の宿」「挽歌」「蛍火」「恐山の女」などがある。39年から16年間、日本映画監督協会理事長。五所亭の俳号での俳句も有名で、句集に「五所亭俳句集」「句集・生きる」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「五所 平之助」の解説

五所 平之助 (ごしょ へいのすけ)

生年月日:1902年2月1日
大正時代;昭和時代の映画監督;俳人。日本映画監督協会理事長
1981年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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