井関玄説(読み)いぜき・げんえつ

朝日日本歴史人物事典 「井関玄説」の解説

井関玄説

没年元禄12.5.2(1699.5.30)
生年元和4(1618)
江戸前期の幕府医官。名は常甫,号は養真庵。近江(滋賀県)の人。父は甫重,妻は林市之進(京都の名医)の娘。江戸で曲直瀬玄朔に医を学ぶ。博覧多識をもって知られ,井上玄徹と並び称された。寛文6(1666)年召されて将軍徳川家綱に謁見。延宝1(1673)年法眼に叙せられた。細川興隆徳川頼宣などの諸大名の治療に腕をふるったと伝えられるが,今日その著述は伝存していない。以後子孫(祐甫―政甫―職甫―俊甫―照甫―修甫)は代々玄説を襲称し,幕府医官を勤めた。

(小曾戸洋)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「井関玄説」の解説

井関玄説 いぜき-げんえつ

1618-1699 江戸時代前期の医師
元和(げんな)4年生まれ。母は林市之進の娘。近江(おうみ)(滋賀県)の人。曲直瀬玄朔(まなせ-げんさく)にまなび,博識で井上玄徹とならび称された。幕府の奥医師,法眼(ほうげん)。元禄(げんろく)12年5月2日死去。82歳。名は常甫(つねはる)。号は養真庵。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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