精選版 日本国語大辞典 「京極為兼」の意味・読み・例文・類語
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鎌倉末期の歌人、京極派の創始者。正しくは「ためかぬ」。藤原為教(ためのり)の男。祖父為家に歌学を学び、伝統的歌風を固執する御子左(みこひだり)嫡流(二条為氏・為世)の権威に反発、心の赴くままに自由なことばで詠歌する革新的な作歌法を主張した。伏見(ふしみ)天皇に春宮(とうぐう)時代から親近、歌道師範となる一方、持明院統(じみょういんとう)政権を支持して政治的に活躍し、ために幕府に異図ありと讒言(ざんげん)されて1298年(永仁6)佐渡配流となる。5年後帰京、なお伏見院の信任厚く、花園(はなぞの)朝において正二位権大納言(ごんだいなごん)に至り、為世との激しい勅撰集(ちょくせんしゅう)撰者争い(『延慶両卿訴陳状(えんきょうりょうきょうそちんじょう)』)のすえ、1312年(正和1)『玉葉和歌集』を単独で撰進した。翌年10月出家、法名蓮覚(れんかく)、のち静覚(じょうかく)。15年4月盛大な春日(かすが)社参りを行ったことが西園寺実兼(さねかね)の忌諱(きい)に触れ、ふたたび土佐配流。後年和泉(いずみ)、河内(かわち)(大阪府)に移り、元弘(げんこう)2年3月21日没。
自然の動きを大胆にとらえた迫真的な叙景歌に優れ、また思想的な観念歌にも特色がある。「閨(ねや)の上は積れる雪に音もせで横ぎるあられ窓たたくなり」「ものとして量(はか)り難しな弱き水に重き舟しも浮ぶと思へば」。
作品は『玉葉集』『風雅集』、京極派諸歌合(うたあわせ)に入るほか、『歳暮百首』『立春百首』『花三十首』『鹿(しか)百首』などがある。『為兼卿家集』前後2集は彼の作を含む私撰集で家集ではない。歌論書『為兼卿和歌抄』および日記『為兼卿記』(和歌関係記事のみの抄出)がある。変革期の歌人政治家として特色ある人物。
[岩佐美代子]
『石田吉貞著「京極為兼」(『日本歌人講座 中世の歌人Ⅱ』所収・1961・弘文堂)』▽『土岐善麿著『日本詩人選15 京極為兼』(1971・筑摩書房)』
(三角洋一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
鎌倉後期の歌人。藤原為家の三男為教(ためのり)の子。進歩的な革新歌人として京極派の指導者となり,二条家の為世と対立した。京極家独特の万葉尊重・歌病無視・自然観照などの歌論と,〈枝にもる朝日の影の少なきに涼しさ深き竹の奥かな〉など清新な歌風を樹立。持明院統の伏見天皇に親近して信任厚く,政治に深入りしたため,反対勢力により1298年(永仁6)佐渡に配流されたが,1303年許されて帰京後も信念を曲げず,精力的に活動した。〈延慶両卿訴陳状〉は勅撰集編纂をめぐる為世との論争であるが,その結果,1312年(正和1)《玉葉和歌集》を撰進することになる。晩年ふたたび土佐に流されるなど波乱に富む生涯であったが,《為兼卿和歌抄》に見られる歌論に裏打ちされ,《玉葉和歌集》に結晶した京極歌風の粋は,和歌史上に異彩を放っている。《続拾遺集》以下の勅撰集に132首入集。
執筆者:上条 彰次
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※「京極為兼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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