伊差川 世瑞(読み)イサガワ セイズイ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「伊差川 世瑞」の解説

伊差川 世瑞
イサガワ セイズイ


職業
歌三線演奏者

生年月日
明治5年 11月28日

出生地
那覇久米村

経歴
19歳の時、伊差川村の脇地頭伊差川章秀の養子となる。明治41年勉学の志止みがたく那覇に出て桑江良真に師事。36歳で野村流の歌三線を学ぶ。堂々たる体躯と男性的剛健な声音に恵まれ、僅か数年で古典音楽200曲余をものにし、大正中期の頃には野村流の中心人物の一人と云われるまでになった。大正13年野村流音楽協会創立時に初代会長に就任。昭和10年8月高弟世礼国男の協力を得て、「声楽譜付工工四(くんくんしい)」を発刊。声楽のメロディーとリズム、発声法を詳細に記録したもので琉球古典音楽上の一大業績となる。野村流普及の契機ともなった。「仲間節」「伊野波節」「散山節」など荘重な楽曲を得意とし、特に低音に味があり、柔和な人柄人望があった。

没年月日
昭和12年 3月3日 (1937年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android