伊東 徹太(読み)イトウ テツタ

20世紀日本人名事典 「伊東 徹太」の解説

伊東 徹太
イトウ テツタ

明治・大正期の医学者 千葉医専教授。



生年
明治11(1878)年8月4日

没年
大正8(1919)年8月5日

出身地
岡山県岡山市

旧姓(旧名)
星島

学歴〔年〕
東京帝大医科大学〔明治38年〕卒

学位〔年〕
医学博士(東京帝大)〔大正4年〕

経歴
明治38年帝大卒業後、東京・神田の医師・伊東祐賢養子となる。東京帝国大学・土肥慶蔵教授の助手となり皮膚科を専攻する。42年三井慈善病院皮膚科医長となり、43年私費でドイツへ留学し帰国後、大正2年千葉医学専門学校(現・千葉大学)皮膚科教授に就任。皮膚病や性病を研究し、軟性下疳の診断に用いられる“伊東反応”で知られた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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