伊東 巳代治(読み)イトウ ミヨジ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「伊東 巳代治」の解説

伊東 巳代治
イトウ ミヨジ


肩書
農商務相,枢密顧問官,東京日日新聞社長

生年月日
安政4年5月9日(1857年)

出生地
肥前国長崎(長崎県)

経歴
明治4年上京、電信寮に入り、6年兵庫県6等訳官。9年上京、伊藤博文に才を認められ10年工部省に採用された。14年参事院議官補となり、11年伊藤の渡欧随行帝国憲法の原案作成に参画。18年第1次伊藤内閣の首相秘書官、22年枢密院書記官長、25年第2次伊藤内閣書記官長、31年第3次伊藤内閣の農商務相を務め、伊藤の懐刀として活動。一方24〜37年東京日日新聞社長として官僚政治擁護の紙面を作った。その間、32年枢密顧問官、36年帝室制度調査局副総裁。大正6年臨時外交調査会委員となり、7年のシベリア出兵には単独出兵を主張。11年伯爵。昭和2年の金融恐慌の際は幣原外交を非難して若槻内閣を崩壊させた。またロンドン海軍軍縮条約に猛反対するなど、一貫して日本の拡張路線を推進した。

没年月日
昭和9年2月19日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「伊東 巳代治」の解説

伊東 巳代治
イトウ ミヨジ

明治〜昭和期の官僚政治家,伯爵 農商務相;枢密顧問官;東京日日新聞社長。



生年
安政4年5月9日(1857年)

没年
昭和9(1934)年2月19日

出生地
肥前国長崎(長崎県)

経歴
明治4年上京、電信寮に入り、6年兵庫県6等訳官。9年上京、伊藤博文に才を認められ10年工部省に採用された。14年参事院議官補となり、11年伊藤の渡欧に随行、帝国憲法の原案作成に参画。18年第1次伊藤内閣の首相秘書官、22年枢密院書記官長、25年第2次伊藤内閣書記官長、31年第3次伊藤内閣の農商務相を務め、伊藤の懐刀として活動。一方24〜37年東京日日新聞社長として官僚政治擁護の紙面を作った。その間、32年枢密顧問官、36年帝室制度調査局副総裁。大正6年臨時外交調査会委員となり、7年のシベリア出兵には単独出兵を主張。11年伯爵。昭和2年の金融恐慌の際は幣原外交を非難して若槻内閣を崩壊させた。またロンドン海軍軍縮条約に猛反対するなど、一貫して日本の拡張路線を推進した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「伊東 巳代治」の解説

伊東 巳代治 (いとう みよじ)

生年月日:1857年5月7日
明治時代-昭和時代の政治家;官僚。伯爵
1934年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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