伊沢 修二(読み)イザワ シュウジ

20世紀日本人名事典の解説

伊沢 修二
イザワ シュウジ

明治・大正期の教育家 東京師範学校校長;東京音楽学校校長;貴院議員。



生年
嘉永4年6月29日(1851年)

没年
大正6(1917)年5月3日

出生地
信濃国伊那高遠(長野県高遠町)

別名
号=楽石

学歴〔年〕
大学南校(現・東京大学)〔明治5年〕卒

経歴
郷里の藩校で和漢の学を修め、明治初年東京に出て大学南校に学び文部省に奉職。7年に愛知師範学校の校長に就任。翌8年米国に派遣され声楽、視話法を習得。11年帰国後、東京師範学校長、12年音楽取調御用掛になり、教員養成の改善、唱歌教育の推進に精力を注いだ。14年「小学唱歌集」を刊行。20〜24年東京音楽学校初代校長をつとめる。一方、文部省編集局長として教科書検定制度を実施。23年国家教育社を結成。日清戦争後、台湾総督府学務部長となり、植民地教育を行う。30年帰国後、貴院議員、32年東京高師校長。36年楽石社を設立し吃音矯正事業に尽した。作詞作曲も多数、作曲に「紀元節」があり、著書に「教育学」「進化原論」「教授真法」「視話法」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和の解説

伊沢 修二
イザワ シュウジ


肩書
貴院議員,東京師範学校校長,東京音楽学校校長

別名
号=楽石

生年月日
嘉永4年6月29日(1851年)

出生地
信濃国伊那高遠(長野県高遠町)

学歴
大学南校(現・東京大学)〔明治5年〕卒

経歴
郷里の藩校で和漢の学を修め、明治初年東京に出て大学南校に学び文部省に奉職。7年に愛知師範学校の校長に就任。翌8年米国に派遣され声楽、視話法を習得。11年帰国後、東京師範学校長、12年音楽取調御用掛になり、教員養成の改善、唱歌教育の推進に精力を注いだ。14年「小学唱歌集」を刊行。20〜24年東京音楽学校初代校長をつとめる。一方、文部省編集局長として教科書検定制度を実施。23年国家教育社を結成。日清戦争後、台湾総督府学務部長となり、植民地教育を行う。30年帰国後、貴院議員、32年東京高師校長。36年楽石社を設立し吃音矯正事業に尽した。作詞作曲も多数、作曲に「紀元節」があり、著書に「教育学」「進化原論」「教授真法」「視話法」などがある。

没年月日
大正6年5月3日

家族
弟=伊沢 多喜男(枢密顧問官)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

367日誕生日大事典の解説

伊沢 修二 (いざわ しゅうじ)

生年月日:1851年6月29日
明治時代;大正時代の音楽教育家;近代的教育の指導者。東京音楽学校校長;貴族院議員
1917年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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