伊藤 久三郎(読み)イトウ キュウザブロウ

20世紀日本人名事典 「伊藤 久三郎」の解説

伊藤 久三郎
イトウ キュウザブロウ

昭和期の洋画家



生年
明治39(1906)年3月24日

没年
昭和52(1977)年4月8日

出生地
京都府京都市下京区高辻通室町

学歴〔年〕
京都市立絵画専門学校本科〔昭和3年〕卒

主な受賞名〔年〕
京都府美術工芸功労者〔昭和51年〕

経歴
上京し、1930年協会洋画研究所に学ぶ。昭和4年二科展に初入選し、13年より同会の前衛的グループ九室会に参加、16年二科会会員となる。この間、8年佐野繁次郎らと新油絵協会を結成、11年には新美術家協会に参加するなど、前衛的活動を展開した。戦後、20年京都に戻り、行動美術協会結成と共に会員となる。また37年成安女子短期大学講師となり、40年教授として指導にあたる。45年京都府立文化芸術会館、京都府ギャラリー運営委員などを務めた。京都における抽象絵画運動の先駆をなし、代表作に「遮蔽」「ラプソディー66」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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