伊藤信徳(読み)イトウシントク

デジタル大辞泉 「伊藤信徳」の意味・読み・例文・類語

いとう‐しんとく【伊藤信徳】

[1633~1698]江戸前期の俳人京都の人。貞門から談林風傾倒松尾芭蕉らと交流し、蕉風確立に影響を与えた。著「江戸三吟」など。

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精選版 日本国語大辞典 「伊藤信徳」の意味・読み・例文・類語

いとう‐しんとく【伊藤信徳】

江戸初期の俳人。京都の富商高瀬梅盛門人談林調から蕉風への一翼をになう。編著「江戸三吟」「七百五十韻」など。寛永一〇~元祿一一年(一六三三‐九八

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朝日日本歴史人物事典 「伊藤信徳」の解説

伊藤信徳

没年元禄11.10.13(1698.11.15)
生年:寛永10(1633)
江戸前期の俳人。別号は梨柿園,竹犬子。京都の裕福な商人俳諧を高瀬梅盛に学んだ。のちに談林派に転向し,延宝5(1677)年江戸に下り,桃青(松尾芭蕉),信章(山口素堂)と百韻3巻を巻き『江戸三吟』を出版した。その後も芭蕉との交流は続く。貞享・元禄(1684~1704)にかけて両者の俳壇的地位が向上するにつれて,その関係は疎遠になるが,京都俳壇の代表的俳人として,当時その俳壇的地位は芭蕉と相拮抗していたといってよい。<参考文献>荻野清『元禄名家句集』,越智美登子「信徳年譜稿」(『国語国文』1973年1月号)

(田中善信)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤信徳」の解説

伊藤信徳 いとう-しんとく

1633-1698 江戸時代前期の俳人。
寛永10年生まれ。京都の富商。はじめ高瀬梅盛に師事するが,談林派に転じる。延宝5年江戸で松尾芭蕉(ばしょう),山口素堂と300韻を興行し,翌年「江戸三吟」として刊行。のち芭蕉をはなれた。元禄(げんろく)期の京都俳壇を代表する存在であった。元禄11年10月13日死去。66歳。通称は助左衛門。別号に梨柿園(りしえん),竹犬子。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊藤信徳」の意味・わかりやすい解説

伊藤信徳
いとうしんとく

[生]寛永10(1633).京都
[没]元禄11(1698).10.13. 京都
江戸時代前期の俳人。通称,助左衛門。別号,梨柿 (りし) 園,竹犬子。高瀬梅盛の門。貞門,談林,蕉風3時代にわたって活躍。編著『信徳十百韻』 (1673成立,75刊) ,『七百五十韻』 (81) など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊藤信徳」の意味・わかりやすい解説

伊藤信徳
いとうしんとく

信徳

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世界大百科事典(旧版)内の伊藤信徳の言及

【信徳】より

…江戸前期の俳人。姓は伊藤(また山田),通称は助左衛門,別号は梨柿園,竹犬。京都の人。富裕な商家に生まれ,家業のため諸国を往来することが多かった。1645年(天保2)13歳のころから俳諧をたしなみ,梅盛に師事して貞門風を学んだが,延宝期(1673‐81)に入るころから高政,常矩(つねのり)らに接近して談林風に転じた。75年(延宝3)《信徳十百韻(とつぴやくいん)》を上梓して新風を世に問い,〈墨絵に山あり水あり。…

※「伊藤信徳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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