伊藤蘭嵎(読み)いとうらんぐう

精選版 日本国語大辞典 「伊藤蘭嵎」の意味・読み・例文・類語

いとう‐らんぐう【伊藤蘭嵎】

江戸中期の古義学派儒者仁斎の五男。兄東涯に教えを受ける。和歌山藩仕官。著に「書反正」「詩古言」など。元祿七~安永七年(一六九四‐一七七八

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「伊藤蘭嵎」の意味・読み・例文・類語

いとう‐らんぐう【伊藤蘭嵎】

[1694~1778]江戸中期の儒学者。京都の人。仁斎の第5子。名は長堅。兄東涯に学び、和歌山藩主に仕えた。著「書反正」「詩古言」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「伊藤蘭嵎」の意味・わかりやすい解説

伊藤蘭嵎
いとうらんぐう
(1694―1778)

江戸中期の儒者。名は長堅(ちょうけん)、字(あざな)は才蔵(さいぞう)、号は蘭嵎。伊藤仁斎(じんさい)の4男中の末子で、東涯(とうがい)の異母弟長兄東涯の字の源蔵(げんぞう)とあわせて「伊藤(堀河(ほりかわ))の首尾蔵(しゅびぞう)」とたたえられた。若くして父を失ったので兄東涯から仁斎の学を教わり、1731年(享保16)紀州侯に仕え、子孫儒職を伝えた。しかし、かならずしも家学を墨守せず、『大学』『中庸(ちゅうよう)』に異見をもち、父兄が重んじた『論語』『孟子(もうし)』より五経に力を入れ、『詩経古言』『書反正』『易本旨』『春秋聖旨』『読礼記』などの著書に独創的見解を示し、詩文集『紹衣稿(しょういこう)』を残している。

石田一良 2016年4月18日]

『加藤仁平著『伊藤仁斎の学問と教育』(1940・目黒書店/復刻版・1979・第一書房)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「伊藤蘭嵎」の解説

伊藤蘭嵎

没年:安永7.3.27(1778.4.24)
生年元禄7.5.1(1694.5.24)
江戸中期の儒者。名は長堅,字は才蔵。蘭嵎は号,別号六有軒,抱〓斎。諡号紹明先生。京都出身。父仁斎,母総の5男。12歳で父と死別し,長兄東涯に育てられた。享保16(1731)年和歌山藩儒(30人扶持,のち切米80石)となり和歌山(和歌山市)に移住。5年後東涯の死去により,藩から一時暇をもらって京都に戻り,10年間,東涯の嗣子東所を教育しその家計を援助し古義堂の経営に当たった。蘭嵎は経学にすぐれ,『書経』の注釈書『書反正』をはじめ五経すべての注釈を書いた。その詩文は『紹衣稿』に集成。<参考文献>加藤仁平『伊藤仁斎の学問と教育』

(三宅正彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「伊藤蘭嵎」の解説

伊藤蘭嵎 いとう-らんぐう

1694-1778 江戸時代中期の儒者。
元禄(げんろく)7年5月1日生まれ。伊藤仁斎の5男。長兄の東涯にまなび,享保(きょうほう)16年紀伊(きい)和歌山藩の儒官となる。東涯の遺児東所を養育し,家塾古義堂をささえる。父とことなり五経を重視して新解釈をうちだした。安永7年3月27日死去。85歳。京都出身。名は長堅(ながかた)。字(あざな)は才蔵。著作に「書反正」「詩経古言」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「伊藤蘭嵎」の解説

伊藤蘭嵎 (いとうらんぐう)

生年月日:1694年5月1日
江戸時代中期の儒者;紀伊和歌山藩儒
1778年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android