伊達 順之助(読み)ダテ ジュンノスケ

20世紀日本人名事典 「伊達 順之助」の解説

伊達 順之助
ダテ ジュンノスケ

明治〜昭和期の満州軍閥 海軍顧問。 檀一雄夕日拳銃」のモデルになった大陸浪人



生年
明治25(1892)年

没年
昭和23(1948)年9月9日

出生地
岩手県

別名
中国名=張 宗援

学歴〔年〕
麻布中学,慶応中学,攻玉社中学,立教中学,海城中学

経歴
伊達政宗の子孫にあたり、岩手・水沢藩主宗敦の3男。父の影響で9歳頃から射撃の訓練をする。大変な乱暴者で麻布、慶応、攻玉社、立教、海城など当時の名門中を転々。立教中時代に拳銃で不良を射殺、華族礼遇停止処分を受ける。その後、満州に渡り、馬賊の頭目となり、大正5年頃パブジャップ将軍の蒙古独立軍に参加。14年には張作霖軍の少将となり中国に帰化、満州事変時に、日本軍の別働隊として華北国境を転戦、鬼将軍と呼ばれる。昭和13年満州国軍大将を自称して、中国人部隊・山東自治連軍総司令として天津に入るが、15年日本軍により解体。敗戦まで青島で海軍顧問の待遇を得るが、戦後、中国軍に逮捕され、23年上海で銃殺される。檀一雄「夕日と拳銃」のモデル。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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