伝統的建造物群保存地区(読み)デントウテキケンゾウブツグンホゾンチク

デジタル大辞泉 「伝統的建造物群保存地区」の意味・読み・例文・類語

でんとうてきけんぞうぶつぐん‐ほぞんちく〔デントウテキケンザウブツグン‐〕【伝統的建造物群保存地区】

文化財保護法により規定される、都市計画法上の地域地区の一。伝統的建造物群およびそれと一体となって歴史的風致を形成している環境を保存するために定められる地区。伝建。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「伝統的建造物群保存地区」の意味・わかりやすい解説

伝統的建造物群保存地区
でんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく

文化財の分類の一種。周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群で価値が高いもの、およびその環境のうち、その保存のために市町村が地域地区として都市計画もしくは条例で定めた地区である。「伝建地区」あるいは「伝建」と略称でよぶこともある。宿場町、城下町、門前町、港町、山村集落など、単体の建造物だけではなく、通りの両側のように連続した空間や、面的な広がりのある町並みや集落全体を保存するため、1975年(昭和50)の文化財保護法の改正で設けられた。それまでは、各地で「歴史的町並み保存地区」などと呼び習わされてきたものが、公的な文化財の一分類となった。

 建造物群がある各市町村が保存条例を定め、地区内の保存事業計画を定める。地区内は基本的には住民が暮らす生活の場であり、地元住民は市町村と協力のうえで主体的に保存活動を行うことができる。国は市町村からの申し出を受けて、国にとって価値が高いと判断したものを「重要伝統的建造物群保存地区」に選定し、修理や防災などに対する補助や、税制優遇などの支援を行う。

 2018年(平成30)8月17日時点で、重要伝統的建造物群保存地区には、98市町村、118地区が選定されている。

[佐滝剛弘]

資料 重要伝統的建造物群保存地区一覧

函館市元町末広町(はこだてしもとまちすえひろちょう)
〔県名〕北海道
〔種別〕港町
〔面積〕14.5ヘクタール
〔選定年月日〕1989.4.21
〔特色〕北海道近代化の先駆けとなった開港場。港沿いに煉瓦(れんが)造りの倉庫群、高台にはロシア領事館の礼拝堂として建てられたハリストス正教会や旧函館区公会堂などがあり、明治、大正、昭和初期に建てられた和洋混在の町並みが形成されている。


弘前市仲町(ひろさきしなかまち)
〔県名〕青森県
〔種別〕武家町
〔面積〕10.6ヘクタール
〔選定年月日〕1978.5.31
〔特色〕津軽氏の居城である弘前城の北側に町割された武家屋敷地。幕末ごろの主屋、薬医門、サワラの生け垣や板塀などがよく残っている。


黒石市中町(くろいししなかまち)
〔県名〕青森県
〔種別〕商家町
〔面積〕3.1ヘクタール
〔選定年月日〕2005.7.22
〔特色〕1656年(明暦2)の黒石津軽家の創立以来、浜街道沿いに栄えた商家町。主屋の前面に庇(ひさし)を張り出した、日常の往来に供される「こみせ」と称する通路が特徴である。「こみせ」は、木造のアーケードのような建築意匠で、吹雪や雨から生活を守り商家町の繁栄に寄与した。高橋家住宅は津軽地方の基準的商家として国の重要文化財に指定される。


金ケ崎町城内諏訪小路(かねがさきちょうじょうないすわこうじ)
〔県名〕岩手県
〔種別〕武家町
〔面積〕34.8ヘクタール
〔選定年月日〕2001.6.15
〔特色〕仙台藩伊達氏の家臣大町氏の要害(大身家臣の在郷屋敷)と武家地で構成された街路。近世以降に建築された寄棟造り、茅葺(かやぶ)きの主屋が残り、街路に面してイグネ(屋敷林)と生け垣が続く。


村田町村田(むらたまちむらた)
〔県名〕宮城県
〔種別〕商家町
〔面積〕7.4ヘクタール
〔選定年月日〕2014.9.18
〔特色〕江戸時代はベニバナの集散地として、明治以降は繭(まゆ)の集散地および仙南の中心的な商業地として栄えた。通りに面して店舗用の建築と門とが交互に並ぶ特徴的な町並みを形成している。店の多くは土蔵造りでなまこ壁が多用され、門には彫刻や欄間(らんま)などの装飾がある。


横手市増田(よこてしますだ)
〔県名〕秋田県
〔種別〕在郷町
〔面積〕10.6ヘクタール
〔選定年月日〕2013.12.27
〔特色〕江戸時代から近代にかけて葉タバコや生糸など、物資の集散地として栄えた。明治前期から昭和初期にかけて建てられた短冊形の主屋が軒を連ねる景観はこの地方独特のものである。主屋、内蔵、外蔵を「トオリ」とよばれる土間で結ぶ商家町屋が特徴。


仙北市角館(せんぼくしかくのだて)
〔県名〕秋田県
〔種別〕武家町
〔面積〕6.9ヘクタール
〔選定年月日〕1976.9.4
〔特色〕秋田藩の蘆名氏、佐竹北家の城下町。保存地区の武家町は広大な屋敷地に武家住宅、表門、付属建物、板塀等が残り、国の天然記念物に指定されているシダレザクラやモミの木などの屋敷林が特徴的である。


喜多方市小田付(きたかたしおたづき)
〔県名〕福島県
〔種別〕在郷町・醸造町
〔面積〕15.5ヘクタール
〔選定年月日〕2018.8.17
〔特色〕天正年間には定期市が開かれ会津北方の交易の中心地であった。また豊富な伏流水を背景に醸造業が早くから行われ、近世中期から後期にかけては大店の並ぶ街並みが形成された。1868年(明治1)の戊申(ぼしん)戦争で大きな被害を受けたが、それ以前の地割を引き継いだまま復興を果たした。表通りに面した切妻造り、平入の店は土蔵造りで、ほかにも蔵座敷、家財蔵、穀蔵、醸造蔵など、用途・規模の異なる多様な土蔵造りの建物が立ち並ぶ。


下郷町大内宿(しもごうまちおおうちじゅく)
〔県名〕福島県
〔種別〕宿場町
〔面積〕11.3ヘクタール
〔選定年月日〕1981.4.18
〔特色〕会津若松と今市(いまいち)(栃木県日光市)を結ぶ南山通り(会津西街道)に位置する宿場町。街道の両側に茅葺(かやぶ)きの家々が規則正しく並ぶ。


南会津町前沢(みなみあいづまちまえざわ)
〔県名〕福島県
〔種別〕山村集落
〔面積〕13.3ヘクタール
〔選定年月日〕2011.6.20
〔特色〕舘岩(たていわ)川の西岸に開かれた山村集落。保存地区は東西と南北の古道が交わる辻を中心に家屋が建つ。1907年(明治40)の大火で家屋がほぼ全焼、その後数年で集落が復興されたため、独特の統一的景観が生まれた。主屋は茅葺(かやぶ)きで、明治末期から昭和前期に建てられた中門造(ちゅうもんづく)りまたは直屋(すごや)が混在する。


桜川市真壁(さくらがわしまかべ)
〔県名〕茨城県
〔種別〕在郷町
〔面積〕17.6ヘクタール
〔選定年月日〕2010.6.29
〔特色〕江戸時代に陣屋町、また北関東・東北方面への木綿流通拠点として栄えた真壁町の中心部にあたり、江戸初期の町割を伝える。町並みは1837年(天保8)の大火後に普及した蔵造りの町家をはじめ薬医門のある商家、江戸時代後期から近代にかけての見世蔵、洋風建築など多様な建造物が残る。


栃木市嘉右衛門町(とちぎしかうえもんちょう)
〔県名〕栃木県
〔種別〕在郷町
〔面積〕9.6ヘクタール
〔選定年月日〕2012.7.9
〔特色〕旧日光例幣使街道(れいへいしかいどう)に沿って見世蔵や土蔵をはじめとする江戸末期から昭和前期ごろにかけての伝統的な建造物が群としてよく残る。地形に沿って湾曲する道、巴波(うずま)川、翁島(おきなじま)や陣屋跡の緑などとともに特徴的な歴史的風致をつくりあげる。


桐生市桐生新町(きりゅうしきりゅうしんまち)
〔県名〕群馬県
〔種別〕製織町
〔面積〕13.4ヘクタール
〔選定年月日〕2012.7.9
〔特色〕江戸末期から昭和初期に至る蔵造りの町屋や醸造蔵、のこぎり屋根工場など、さまざまな年代の歴史的建造物が数多く残る。町が創設された江戸時代初期の地割も残されており、製織町として発展した歴史を伝える。


中之条町六合赤岩(なかのじょうまちくにあかいわ)
〔県名〕群馬県
〔種別〕山村・養蚕集落
〔面積〕63.0ヘクタール
〔選定年月日〕2006.7.5
〔特色〕三国山脈の南麓(なんろく)に位置する。白砂(しらすな)川の河岸段丘に広がる屋敷地や農耕地からなる山村の養蚕集落で、近世の地割、養蚕と結びついた建物群と環境が残る。江戸時代後期から明治時代に建てられた養蚕農家群を中心に、屋敷地の主屋、蔵、石垣、農耕地、宗教施設、また山林など周辺環境も一体となり、集落景観を形成している。


川越市川越(かわごえしかわごえ)
〔県名〕埼玉県
〔種別〕商家町
〔面積〕7.8ヘクタール
〔選定年月日〕1999.12.1
〔特色〕近世初期に城下町として整備され、明治時代まで商業都市として繁栄した。神社仏閣や1893年(明治26)の大火後に建てられた重厚な蔵造りの商家が多く建ち並び、「小江戸」と称される。また、大正以降に洋風建築や洋風町屋が加わった独特な町並みをつくりあげている。


香取市佐原(かとりしさわら)
〔県名〕千葉県
〔種別〕商家町
〔面積〕7.1ヘクタール
〔選定年月日〕1996.12.10
〔特色〕利根(とね)川の水運とともに繁栄した商業都市。佐原市内を流れる小野川沿いと交差する香取街道沿いに、江戸時代から昭和初期までの商家が建ち並ぶ古い町並みを残す。川沿いに伊能忠敬(いのうただたか)旧宅(国指定史跡)があり、また「だし」とよばれる荷揚用階段が随所に設けられる。


佐渡市宿根木(さどししゅくねぎ)
〔県名〕新潟県
〔種別〕港町
〔面積〕28.5ヘクタール
〔選定年月日〕1991.4.30
〔特色〕佐渡島南西端の港町。江戸時代は佐渡金山の金銀の積み出し港、西回り航路の寄港地としてにぎわい、船大工や船主が居住する廻船(かいせん)業の基地として栄えた。入江に密集した民家群は質素な板張りの外壁であるが、室内の柱や建具には透明漆塗りなど豪華な仕上げが施されている。


高岡市山町筋(たかおかしやまちょうすじ)
〔県名〕富山県
〔種別〕商家町
〔面積〕5.5ヘクタール
〔選定年月日〕2000.12.4
〔特色〕近世初頭成立の城下町の骨格を踏襲しつつ、1900年(明治33)の大火以後に再興された商家町。町並みは旧北国街道に沿い、復興は道路の拡幅など、都市防災計画に基づいてなされた。土蔵造りや真壁造りの町屋、煉瓦(れんが)造りや木造モルタル造りの洋風建築が建ち並ぶ。


高岡市金屋町(たかおかしかなやまち)
〔県名〕富山県
〔種別〕鋳物師町
〔面積〕6.4ヘクタール
〔選定年月日〕2012.12.28
〔特色〕高岡築城直後、高岡に隠居していた加賀前田家2代当主利長(としなが)が領内の砺波(となみ)郡西部金屋から7人の鋳物師(いもじ)を呼び寄せ、土地を与えて鋳物場を開設させた。諸税や労役を免除して手厚く保護したことから、鋳物産業が根づいた。多くの工場が郊外に移転したが、現在も鋳物製造は続いている。江戸時代から昭和初期に建てられた真壁造り、千本格子の家並みが保存されている。


南砺市相倉(なんとしあいのくら)
〔県名〕富山県
〔種別〕山村集落
〔面積〕18.0ヘクタール
〔選定年月日〕1994.12.21
〔特色〕富山県の西南端、白山山系の山岳地帯にある山村集落。五箇山(ごかやま)地方独特の高い切妻(きりづま)・茅葺(かやぶ)き屋根の合掌(がっしょう)造りの民家、寺、道場など約20棟が建ち並ぶ。国の史跡に指定され、1995年(平成7)「白川郷・五箇山の合掌造り集落」としてユネスコの世界遺産に登録された。


南砺市菅沼(なんとしすがぬま)
〔県名〕富山県
〔種別〕山村集落
〔面積〕4.4ヘクタール
〔選定年月日〕1994.12.21
〔特色〕五箇山(ごかやま)の庄川沿いに位置する集落。豪雪に耐えられるようにつくられた切妻(きりづま)・茅葺(かやぶ)き屋根の合掌(がっしょう)造り家屋が独特の歴史的景観を呈している。国の史跡に指定され、1995年(平成7)「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として世界遺産に登録された。


金沢市東山ひがし(かなざわしひがしやまひがし)
〔県名〕石川県
〔種別〕茶屋町
〔面積〕1.8ヘクタール
〔選定年月日〕2001.11.14
〔特色〕江戸後期の茶屋町創設時の整形された敷地割を残す。浅野川の東側につくられた。町屋正面の出格子の意匠や、2階正面を高くして軒高をそろえ、2階に座敷を置く町屋など、茶屋町特有の景観が並ぶ。


金沢市主計町(かなざわしかずえまち)
〔県名〕石川県
〔種別〕茶屋町
〔面積〕0.6ヘクタール
〔選定年月日〕2008.6.9
〔特色〕旧金沢城下町の北東部、浅野川西岸に沿う茶屋町。町名は前田家重臣、富田主計重家(とだかずえしげいえ)の屋敷があったことによるという。切妻平入(きりづまひらいり)の2階建て、出格子の建物が並ぶ。明治後期から昭和初期にかけて3階建てに増築した建物も多い。


金沢市卯辰山麓(かなざわしうたつさんろく)
〔県名〕石川県
〔種別〕寺町
〔面積〕22.1ヘクタール
〔選定年月日〕2011.11.29
〔特色〕起伏ある山麓の地形にあり、旧北国(ほっこく)街道から寺院へ向かって延びる参道を基本とした独特な町割の寺町。江戸時代の切妻平入(きりづまひらいり)や妻入(つまいり)の特徴ある寺院本堂が多く残り、周辺の近世から近代にかけての町屋とともに、卯辰山麓一帯に形成された寺町の歴史的風致をよく伝える。


金沢市寺町台(かなざわしてらまちだい)
〔県名〕石川県
〔種別〕寺町
〔面積〕22.0ヘクタール
〔選定年月日〕2012.12.28
〔特色〕越前方面からの城下への入り口となる交通の要衝に位置する寺町寺院群を主体とした地区。加賀藩主前田家墓所に続く旧野田道沿いに形成され、寺院が整然と並ぶ野田寺町と、旧鶴来(つるぎ)道沿いに形成され、境内地の通り沿いに町屋が連なる寺社門前地である泉寺町の、二つの寺町がそれぞれ特徴的な景観を有する。


輪島市黒島地区(わじましくろしまちく)
〔県名〕石川県
〔種別〕船主集落
〔面積〕20.5ヘクタール
〔選定年月日〕2009.6.30
〔特色〕輪島市の西部、門前(もんぜん)地区にあり、西は日本海に臨む。戦国末期から始められた廻船(かいせん)業でにぎわい、海沿いを南北に走る街道に沿って集落が発達した。江戸時代は北前船の船主や船員が集住し、中庭をコの字型に囲む住宅に特徴がある。もっとも繁栄した明治初期の地割がよく残り、黒い釉薬瓦(ゆうやくがわら)、外壁の下見板張り、格子などが町並みに統一感を与えている。


加賀市加賀橋立(かがしかがはしたて)
〔県名〕石川県
〔種別〕船主集落
〔面積〕11.0ヘクタール
〔選定年月日〕2005.12.27
〔特色〕日本海沿岸の丘陵地に位置し、江戸後期から明治中期にかけて繁栄した北前船の船主や船頭が居住した集落。近世の地割を残し、豪壮な家屋や淡緑色の笏谷(しゃくたに)石を使用した敷石や石垣、土蔵など歴史的風致をよく伝える。


加賀市加賀東谷(かがしかがひがしたに)
〔県名〕石川県
〔種別〕山村集落
〔面積〕151.8ヘクタール
〔選定年月日〕2011.11.29
〔特色〕近世から昭和中期にかけて製炭業を生業とした4集落からなる山村集落。明治前期から昭和中期までに建てられた主屋は2階建、瓦葺き、煙出し付き。石積み、水路、河川など、工作物と自然が一体となって歴史的景観を形成する。


白山市白峰(はくさんししらみね)
〔県名〕石川県
〔種別〕山村・養蚕集落
〔面積〕10.7ヘクタール
〔選定年月日〕2012.7.9
〔特色〕霊峰白山の麓(ふもと)、日本屈指の豪雪地という厳しい自然環境のなかから独特の文化を生み出してきた。江戸時代前期から幕府領白山麓十八ヶ村の取次元(大庄屋)を務め、3階建ての黄土色の大壁、縦長窓が特徴的な山岸家を中心として、狭い河岸段丘上に約250戸の大壁造りの家屋が密集する町並みは、日本の山村集落のなかでも稀少な存在である。


小浜市小浜西組(おばましおばまにしぐみ)
〔県名〕福井県
〔種別〕商家町・茶屋町
〔面積〕19.1ヘクタール
〔選定年月日〕2008.6.9
〔特色〕小浜は江戸時代には若狭小浜藩酒井氏の城下町であり、小浜湊は日本海貿易などで繁栄した。町方は1684年(貞享1)の町割改めで東、中、西の3組に分けられた。西組は寺町、商家町、茶屋町で構成され、商家町と茶屋町では建築様式が異なる。茶屋町では2階前面を出窓などにする様式が多い。近世城下町の町割を継承し、近世から近代に建てられた町屋や寺社などが併存する歴史的風致を伝えている。


若狭町熊川宿(わかさちょうくまがわしゅく)
〔県名〕福井県
〔種別〕宿場町
〔面積〕10.8ヘクタール
〔選定年月日〕1996.7.9
〔特色〕日本海と畿内を結ぶ若狭街道沿いに栄えた宿場町。18世紀後半から若狭で陸揚げされた鯖(さば)が京へと大量に運ばれたため「鯖街道」とよばれ、小浜から京都を結ぶ街道の約1.1キロメートルの両側に、塗籠(ぬりごめ)造りや真壁(しんかべ)造り、平入(ひらいり)、妻入(つまいり)の町屋が入り混じって建ち並ぶ。


甲州市塩山下小田原上条(こうしゅうしえんざんしもおだわらかみじょう)
〔県名〕山梨県
〔種別〕山村・養蚕集落
〔面積〕15.1ヘクタール
〔選定年月日〕2015.7.8
〔特色〕山梨県北東部、甲府盆地北側の山麓に位置する集落。民家の敷地は等高線に沿った細長い形状をしており、その中ほどに主屋がある。江戸時代には畑作が中心だったが、明治時代中期以降、政府の振興策もあり養蚕に転じた。屋根裏で養蚕を行うために主屋の屋根前面の中央部を切り上げた突上(つきあ)げ屋根が設けられた。また、昭和になると棟に越(こし)屋根を上げた切妻造り桟瓦葺(さんがわらぶ)きの主屋も建てられ、地域独特の特徴的な集落の景観が形づくられ、よくとどめられている。


早川町赤沢(はやかわちょうあかさわ)
〔県名〕山梨県
〔種別〕山村・講中宿
〔面積〕25.6ヘクタール
〔選定年月日〕1993.7.14
〔特色〕日蓮宗総本山の身延(みのぶ)山久遠寺(くおんじ)と、日蓮宗の山岳信仰の聖地七面山(しちめんざん)を結ぶ巡礼道の途中に位置する信者の講宿。斜面に木羽葺(こばぶ)き屋根の主屋などが並ぶ。


長野市戸隠(ながのしとがくし)
〔県名〕長野県
〔種別〕宿坊群・門前町
〔面積〕73.3ヘクタール
〔選定年月日〕2017.2.23
〔特色〕戸隠神社の中社(ちゅうしゃ)および宝光社と、その参詣道沿いに発達した宿坊群を中心とした門前町。神仏分離令以前の戸隠神社は、戸隠山顕光寺を前身とし、近世には戸隠講が形成され、多くの参詣者が訪れた。江戸時代以来の地割がよく保たれており、宿坊や在家とよばれる農家や職人の住宅の主屋は寄棟造り、茅葺き、平入の平屋または2階建てで、雪対策として床を高く張っている。戸隠信仰のもと、増加する参詣者を受け入れるため大規模化した宿坊が、社殿や在家の住宅、石垣などと一体となっている。


塩尻市奈良井(しおじりしならい)
〔県名〕長野県
〔種別〕宿場町
〔面積〕17.6ヘクタール
〔選定年月日〕1978.5.31
〔特色〕中山道(なかせんどう)の一部をなす木曽路の、木曽十一宿の北から二つめにあたる。難所の鳥居峠を控え、南側から上町、中町、下町に分かれる。上町と中町の境に「鍵の手」とよばれる道があり、宿場内の見通しを防いでいる。街道に面して2階に手摺りがある旅籠屋形式の町屋が並び、軒(のき)の出の深い家々が約1キロメートルにわたって残る。


塩尻市木曽平沢(しおじりしきそひらさわ)
〔県名〕長野県
〔種別〕漆工町
〔面積〕12.5ヘクタール
〔選定年月日〕2006.7.5
〔特色〕木曽谷を北流する奈良井川の河川敷に発達した中山道奈良井宿の在郷集落。古くから檜物細工(ひものざいく)や漆器などの産地として知られ、近世後期には「平沢塗物」の名で流通、発展した。奥行きの深い短冊状の敷地割が残り、近世から近代にかけての建物が混在する。道路に面してアガモチとよばれる空地があり、主屋の奥の漆塗りの作業場「ヌリグラ」をはじめ漆塗りの作業に適した建物群が特徴的である。


千曲市稲荷山(ちくましいなりやま)
〔県名〕長野県
〔種別〕商家町
〔面積〕13.0ヘクタール
〔選定年月日〕2014.12.10
〔特色〕天正年間に城と町場が形成され、廃城後の慶長年間に北国西往還(ほっこくにしおうかん)(通称、善光寺街道)の宿場町となった。19世紀初期以降は商業地化し、近世末期から近代にかけて、生糸や繊維製品の集散地として繁栄した。近世以来の水路や地割をよく残している。街道に面して、中二階で二階の柱や軒裏を壁で塗り上げた主屋や、本二階で分厚い壁を軒まで塗り上げた重厚な主屋が並び、裏通りには土蔵が並ぶ。江戸時代に整備された町割の上に、伝統的建造物をよく残し、近世から近代にかけて栄えた商家町の姿をよく伝える。


東御市海野宿(とうみしうんのじゅく)
〔県名〕長野県
〔種別〕宿場町・養蚕町
〔面積〕13.2ヘクタール
〔選定年月日〕1987.4.28
〔特色〕北国(ほっこく)街道の宿場町。道の中央を用水が流れ、旅籠屋2階の出格子は海野格子とよばれる。明治時代には宿場時代の広い部屋を利用して養蚕・蚕種業で栄えた。宿場時代の建物、蚕室造りで気抜きの越屋根がある明治時代以降の建物、うだつをあげた両時代の住居などが調和よく残されている。


南木曽町妻籠宿(なぎそまちつまごじゅく)
〔県名〕長野県
〔種別〕宿場町
〔面積〕1245.4ヘクタール
〔選定年月日〕1976.9.4
〔特色〕京都側からみて、中山道木曽十一宿の馬籠(まごめ)宿に続く宿場。保存地区は宿場地区、在郷地区および周辺地区を含む広範囲。宿場地区は江戸末期から明治期の面影をよく残す。脇本陣を務めた林家(屋号奥谷)の住宅は近世の町屋形式を踏襲した近代建築で、国の重要文化財に指定される。


白馬村青鬼(はくばむらあおに)
〔県名〕長野県
〔種別〕山村集落
〔面積〕59.7ヘクタール
〔選定年月日〕2000.12.4
〔特色〕江戸時代後期から明治にかけて建てられた茅葺(かやぶ)きの主屋と土蔵などが残る山村集落。背後に石垣の棚田が広がり、江戸時代末期に築造された青鬼堰により水が供給される。


高山市三町(たかやましさんまち)
〔県名〕岐阜県
〔種別〕商家町
〔面積〕4.4ヘクタール
〔選定年月日〕1979.2.3
〔特色〕飛騨(ひだ)の中心高山は、近世初期には金森長近(かなもりながちか)の城下町。江戸時代中期に幕府領になって以降、商業活動により栄えた。三町は、一之町、二之町、三之町の総称で、商家が狭い街路の両側に建ち並び、中2階建で深い軒、ベンガラ塗の出格子や胡粉塗の腕木など、たたずまいに洗練された意匠をみせる。


高山市下二之町大新町(たかやまししもにのまちおおじんまち)
〔県名〕岐阜県
〔種別〕商家町
〔面積〕6.6ヘクタール
〔選定年月日〕2004.7.6
〔特色〕近世初期の城下町の町割構成をよく残す、越中街道沿いに開けた商家町。明治から昭和初期にかけての多様な形式の町屋が残り、質の高い意匠などが特色ある伝統的建造物群を構成。地区中央の吉島家住宅と日下部住宅は近代の建築ではあるが、江戸時代の建築技術の集大成といえる(国指定重要文化財)。


美濃市美濃町(みのしみのまち)
〔県名〕岐阜県
〔種別〕商家町
〔面積〕9.3ヘクタール
〔選定年月日〕1999.5.13
〔特色〕金森長近の城下町建設以来、江戸時代を通じて和紙製造を中心に栄えた商家町。江戸時代の「目の字型」の街路構成に、うだつやうだつの軒先の化粧瓦などの意匠をもつ家屋を多く残す。正面の下屋庇(げやびさし)上に設けられた箱型や辻堂風の火防神も特色の一つ。


恵那市岩村町本通り(えなしいわむらちょうほんどおり)
〔県名〕岐阜県
〔種別〕商家町
〔面積〕14.6ヘクタール
〔選定年月日〕1998.4.17
〔特色〕東濃地方の政治、経済、文化の中心として江戸時代に栄えた城下町。岩村城下の商家町と近代の町屋群が歴史的景観を維持している。各家の中庭を天正疎水とよばれる水路が縦断している。


郡上市郡上八幡北町(ぐじょうしぐじょうはちまんきたまち)
〔県名〕岐阜県
〔種別〕城下町
〔面積〕14.1ヘクタール
〔選定年月日〕2012.12.28
〔特色〕四方を山と川に囲まれた、自然地形をいかした郡上藩の城下町の一部。1919年(大正8)北町一帯が焼失したが、復興に際し町人地は地割を継承した。総2階建、切妻平入の町屋が密集して建ち並び、水路などの水利施設と一体となった城下町としての歴史的風致を伝える。


白川村荻町(しらかわむらおぎまち)
〔県名〕岐阜県
〔種別〕山村集落
〔面積〕45.6ヘクタール
〔選定年月日〕1976.9.4
〔特色〕切妻合掌(きりづまがっしょう)造りの茅葺(かやぶ)き大屋根が独特の景観をみせる山村集落。合掌造り民家の屋根裏は2ないし3層から成る。白川郷では、かつては大家族が共同生活を営んでいた。1995年(平成7)「白川郷・五箇山(ごかやま)の合掌造り集落」として世界遺産に登録された。


焼津市花沢(やいづしはなざわ)
〔県名〕静岡県
〔種別〕山村集落
〔面積〕19.5ヘクタール
〔選定年月日〕2014.9.18
〔特色〕山間部の谷地に位置し、ミカン、茶、タバコなどを生業とする山村集落。中央を南北に花沢川が流れ、川沿いに日本坂峠へと続く旧街道が通る集落は、川沿いの通り西側に屋敷地が開けており、通りに面して石垣を築き、「オード」とよばれる作業空間を取り囲むように農作業小屋、季節労働者の宿泊部屋などがあり、主屋は敷地奥に建つ。狭い敷地が巧みに生かされている。


名古屋市有松(なごやしありまつ)
〔県名〕愛知県
〔種別〕染織町
〔面積〕7.3ヘクタール
〔選定年月日〕2016.7.25
〔特色〕東海道沿いに位置し、鳴海宿と池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)の間にある。1608年(慶長13)の尾張藩による移住奨励によって開かれた集落で、最初の移住者が考案したとされる有松絞りによって、町は江戸時代を通じて発展し、近代に繁栄を極めた。絞商の豪壮な屋敷構えと諸職の町屋が混在した町並みが特徴的である。町の成立から現在まで、一つの産業を持続してきたまれな町並みであり、絞り織物の生産・販売を行ってきた町の特色をよく伝えている。


豊田市足助(とよたしあすけ)
〔県名〕愛知県
〔種別〕商家町
〔面積〕21.5ヘクタール
〔選定年月日〕2011.6.20
〔特色〕江戸時代から近世にかけて、信州、美濃、名古屋などへの街道が通じる交通の要衝で、中継地点として栄えた。江戸時代から昭和初期までの町屋を多く残し、平入(ひらいり)と妻入(つまいり)の入り交じる街道沿いと、石垣を築き、足助川にせり出して設けられた座敷のある住宅など、変化に富んだ景観を残す。


亀山市関宿(かめやましせきじゅく)
〔県名〕三重県
〔種別〕宿場町
〔面積〕25.0ヘクタール
〔選定年月日〕1984.12.10
〔特色〕江戸から47番目の東海道の宿場。宿の東で伊勢(いせ)別街道、西で大和(やまと)街道が分かれる。約2キロメートルにわたって旧宿場の規模を伝え、中央に「関の地蔵」で知られる地蔵院があり、平入りの2階建、平屋建など多様な町屋が連続する。


大津市坂本(おおつしさかもと)
〔県名〕滋賀県
〔種別〕里坊群・門前町
〔面積〕28.7ヘクタール
〔選定年月日〕1997.10.31
〔特色〕古くから西近江(おうみ)路の要地として重要視され、中世より延暦(えんりゃく)寺の門前町として栄えた。近世に入り里坊(さとぼう)(僧侶の隠居所)群が形成され、奥行の深い積み方で知られる「穴太(あのう)積み」の石垣で囲まれた里坊が多い。


彦根市河原町芹町地区
(ひこねしかわらまちせりまちちく)
〔県名〕滋賀県
〔種別〕商家町
〔面積〕5.0ヘクタール
〔選定年月日〕2016.7.25
〔特色〕城下町の南東部に位置する町人地にあたり、江戸時代から昭和戦前期にかけて繁栄した商業地区。屈曲した幅2間ほどの街路や短冊形に割られた敷地等、河川を制御して形成された城下町の地割をよく伝える。街路に沿って、切妻造り、瓦葺き、2階建ての町屋が立ち並ぶ。軒の低い厨子(つし)2階とするものが多い。江戸時代に形成された地割をよく残すとともに、江戸時代から明治期の建造物がよく残り、城下町に形成された商家町の姿をよく伝えている。


近江八幡市八幡(おうみはちまんしはちまん)
〔県名〕滋賀県
〔種別〕商家町
〔面積〕13.1ヘクタール
〔選定年月日〕1991.4.30
〔特色〕京都から東へ通じる東海道、中山道(なかせんどう)、北国(ほっこく)街道が集まる湖東平野の中央に商業の町として栄えた。近江商人の一大拠点として繁栄し、近世の町並み景観を色濃く残す。


東近江市五個荘金堂(ひがしおうみしごかしょうこんどう)
〔県名〕滋賀県
〔種別〕農村集落
〔面積〕32.2ヘクタール
〔選定年月日〕1998.12.25
〔特色〕湖東平野のほぼ中央にある、江戸時代の近江商人発祥地の一つ。古代条里制地割を基本に形成された農村集落に、近江商人の本宅群と伝統的な農家住宅が残されている。


京都市上賀茂(きょうとしかみがも)
〔県名〕京都府
〔種別〕社家町
〔面積〕2.7ヘクタール
〔選定年月日〕1988.12.16
〔特色〕京都市北部の上賀茂神社東側に築かれた室町時代からの門前集落。道路脇の明神川沿いには上賀茂神社に仕えた神官たちの住んだ重厚な社家(しゃけ)が建ち並ぶ。明神川に石橋が架かり、前庭の奥に切妻造り、平家建、妻入の主屋が建つ。


京都市産寧坂(きょうとしさんねいざか)
〔県名〕京都府
〔種別〕門前町
〔面積〕8.2ヘクタール
〔選定年月日〕1976.9.4
〔特色〕清水(きよみず)寺、高台(こうだい)寺、八坂(やさか)神社などの社寺散策の順路にあたる。道に沿って土産(みやげ)物屋、茶店、住宅が建ち、直線や曲線が複合する高低差を石段や坂で繋ぎ、変化に富む景観を形成している。


京都市祇園新橋(きょうとしぎおんしんばし)
〔県名〕京都府
〔種別〕茶屋町
〔面積〕1.4ヘクタール
〔選定年月日〕1976.9.4
〔特色〕祇園六町のうち新橋通りを中心とした地区。1865年(元治2)の大火後に建てられた建物は2階建、切妻造、平入、桟瓦葺き。1階は格子をつけ、2階は縁を出して簾(すだれ)を下げた茶屋が軒を連ねる。社交場でもあった茶屋町は、上方(かみがた)の都市文化の一翼を担った。


京都市嵯峨鳥居本(きょうとしさがとりいもと)
〔県名〕京都府
〔種別〕門前町
〔面積〕2.6ヘクタール
〔選定年月日〕1979.5.21
〔特色〕京都市街から愛宕(あたご)神社へ通じる愛宕街道の町並み。嵯峨野は秋草や虫の名所、歌枕(うたまくら)としても知られる。鳥居本はその奥まった所で、かつては愛宕詣(もうで)の人々のにぎわしい往来があった。市街側は町屋風、神社に近づくと茅葺きの農家風の建物が多い。


南丹市美山町北(なんたんしみやまちょうきた)
〔県名〕京都府
〔種別〕山村集落
〔面積〕127.5ヘクタール
〔選定年月日〕1993.12.8
〔特色〕京都府北部の丹波高地を流れる由良川の北側河岸段丘地に形成された山村集落。地区内に現存する北山型の茅葺(かやぶ)き屋根の民家と自然景観とが調和して、日本の農村の原風景ともいうべき風情を呈している。


伊根町伊根浦(いねちょういねうら)
〔県名〕京都府
〔種別〕漁村
〔面積〕310.2ヘクタール
〔選定年月日〕2005.7.22
〔特色〕若狭(わかさ)湾の入り江伊根浦の漁村集落。選定区域内には、町並みを形成する舟屋、主屋、蔵、道、石垣などの建築物や工作物をはじめ、魚付林などの環境物件、伊根湾や湾口に浮かぶ青島も含まれる。水際ぎりぎりのところに切妻面を海に向けた2階建ての舟屋はもっとも特徴的である。湾を取り囲むように連続して並ぶ舟屋群の景観を中心に、江戸末期から昭和初期にかけての歴史的風致を伝える。


与謝野町加悦(よさのちょうかや)
〔県名〕京都府
〔種別〕製織町
〔面積〕12.0ヘクタール
〔選定年月日〕2005.12.27
〔特色〕近世初期の城下町特有の地割をよく残す。中世から絹織物の産地であったが、江戸中期からは丹後縮緬(ちりめん)を主力とした商工業地として発展。近世から昭和初期に建てられた主屋や土蔵、縮緬工場や織工らの宿舎など縮緬関連施設などが一体となり、製織町としての歴史的風致を伝える。


富田林市富田林(とんだばやししとんだばやし)
〔県名〕大阪府
〔種別〕寺内町・在郷町
〔面積〕12.9ヘクタール
〔選定年月日〕1997.10.31
〔特色〕南河内地域の平野部中央に位置し、室町時代末期、のちの興正(こうしょう)寺別院を中心とする寺内町として成立。17世紀以降はしだいに宗教色が薄れ、農作物の集散と商業活動を中心とした在郷町として発達した。南北6筋、東西7町に整然と区画された通りに面して、往時の繁栄をしのぶ豪壮な町屋が現存する。富田林市が都市計画道路を廃止したため、既選定地区の西側、1.9ヘクタールの範囲が2018年8月17日に追加選定された。


神戸市北野町山本通(こうべしきたのちょうやまもとどおり)
〔県名〕兵庫県
〔種別〕港町
〔面積〕9.3ヘクタール
〔選定年月日〕1980.4.10
〔特色〕兵庫開港後、明治20年代になると居留地の補完として六甲山麓(ろっこうさんろく)の南斜面地に洋風、和風の異国情緒豊かな住宅地が形成された。保存地区はその一画にあり、異人館とよばれる2階建て、下見板張り、ペンキ塗りの洋館群が特徴的である。国の重要文化財に指定される旧トーマス住宅、小林家住宅などがある。


豊岡市出石(とよおかしいずし)
〔県名〕兵庫県
〔種別〕城下町
〔面積〕23.1ヘクタール
〔選定年月日〕2007.12.4
〔特色〕但馬(たじま)出石藩の城下町で、周囲を山に囲まれ出石川の右岸に位置する。保存地区は町人町と武家町の一部で、町割は初代出石藩主小出(こいで)氏の時代に完成したと考えられる。明治初期の大火で焼け残った武家屋敷、寺社、近代に建てられた町屋などが現存する。


丹波篠山市篠山(たんばささやましささやま)
〔県名〕兵庫県
〔種別〕城下町
〔面積〕40.2ヘクタール
〔選定年月日〕2004.12.10
〔特色〕江戸時代初期に築城された篠山城を中核として武家と町屋の町並みが一体となり、よく残っていることが特徴である。とくに御徒士(おかち)町武家屋敷群と河原町妻入(つまいり)商家群は、篠山城下町の町並みを代表し、歴史的風致を今日に伝える。


丹波篠山市福住(たんばささやましふくすみ)
〔県名〕兵庫県
〔種別〕宿場町・農村集落
〔面積〕25.2ヘクタール
〔選定年月日〕2012.12.28
〔特色〕篠山盆地東端の河岸段丘上に位置する、西京街道沿いに江戸後期から明治期に建てられた妻入(つまいり)民家を中心とした地区。宿場町と農村集落の歴史的景観が連続する稀有な町並みで、社寺、河川、周辺の山などが一体となった景観を残す。


養父市大屋町大杉(やぶしおおやちょうおおすぎ)
〔県名〕兵庫県
〔種別〕山村・養蚕集落
〔面積〕5.8ヘクタール
〔選定年月日〕2017.7.31
〔特色〕大屋川の中流域左岸に所在する山村集落。16世紀なかばには集落が形成されていたとみられる。但馬地域山間部では冬は雪も多く、江戸時代に副業として営まれていた養蚕が、明治末期から昭和初期にかけて丹後縮緬の原料糸、輸出用生糸の生産など主産業となり、専業化が進んだ。近代における養蚕業の発展、専業化とともに、大正期には、保温性と通気性を備え、当地での養蚕に適した3階建て、大壁造の特徴的な主屋の形式が成立した。伝統的な主屋とともに、土蔵等の附属屋、社寺建築、石垣、水路などが一体となって、但馬地域における山村集落の風致をよく伝えている。


橿原市今井町(かしはらしいまいちょう)
〔県名〕奈良県
〔種別〕寺内町・在郷町
〔面積〕17.4ヘクタール
〔選定年月日〕1993.12.8
〔特色〕1514年(天文10)に建てられた一向宗道場(現在の称念寺)の寺内町。建設当時は周囲に堀と土居が巡らされていた。近世には商業で繁栄し、中世の敷地割りを伝える保存地区の建造物の過半数が伝統的建造物。今西家住宅など9件の国指定重要文化財を含む。本瓦葺き、桟瓦葺きの平屋、つし2階建ての町屋が連なり、2階の壁にはむしこ窓、家紋などの装飾がほどこされている。


五條市五條新町(ごじょうしごじょうしんまち)
〔県名〕奈良県
〔種別〕商家町
〔面積〕7.0ヘクタール
〔選定年月日〕2010.12.24
〔特色〕1608年(慶長13)に松倉重政(まつくらしげまさ)が入部して五條二見藩が成立し、伊勢(紀伊)街道五條宿の町場と二見城を結ぶ直線道路に沿って新町が町割された。五條代官所の設置後は金融業等でも繁栄した。選定地区は江戸時代の五條市街南西部と新町地区の全域を含み、栗山家住宅(国指定重要文化財)をはじめ、江戸から昭和戦前期に至る各時代の町屋が残り、街道沿いに残る寺社とともにまとまった町並みを形成する。


宇陀市松山(うだしまつやま)
〔県名〕奈良県
〔種別〕商家町
〔面積〕17.0ヘクタール
〔選定年月日〕2006.7.5
〔特色〕宇田川沿いに位置する商家町。近世、宇陀松山城下における商家町から在郷町として発展し、宇陀紙や吉野葛(よしのくず)などの周辺地域の特産品の販売で栄えた。江戸時代から昭和初期にかけての町屋、土蔵、寺社、石垣、水路などが一体となった町並みは往時の活発な経済活動を伝え、むしこ窓、格子など建築意匠を凝らした町屋群が特徴的である。宇陀松山城跡、松山西口関門、森野旧薬園は国指定史跡。


湯浅町湯浅(ゆあさちょうゆあさ)
〔県名〕和歌山県
〔種別〕醸造町
〔面積〕6.3ヘクタール
〔選定年月日〕2006.12.19
〔特色〕「日本のしょうゆ発祥の地」と称されるこの地区のしょうゆ醸造は中世に始まる。江戸時代には紀州藩の保護のもと、特産品として全国に販路を広げた。しょうゆ醸造のほか漁網や金山寺味噌(きんざんじみそ)などを製造販売し、紀州藩有数の商工業都市として栄えた。町並みは通りと小路で構成される近世期の地割を残し、近世から近代にかけての瓦葺(かわらぶ)きの町屋や醸造蔵、土蔵、長屋などで構成され、醸造の歴史をよく伝える。


倉吉市打吹玉川(くらよししうつぶきたまがわ)
〔県名〕鳥取県
〔種別〕商家町
〔面積〕9.2ヘクタール
〔選定年月日〕1998.12.25
〔特色〕打吹山の裾に位置し、江戸、明治、大正にかけて商工業都市として繁栄した。本町通りには町屋が軒を連ねて建ち、市内を流れる玉川には石橋が架かり、川沿いには古い白壁しっくい塗りの土蔵群が並び、江戸時代からの情緒を漂わせる。赤褐色の石州瓦の屋根などに地域的特色がある。アーケードがかかる商店街となっていたため選定から外れていた本町通り(4.5ヘクタール)は、アーケード撤去後の2010年(平成22)に追加選定された。


大山町所子(だいせんちょうところご)
〔県名〕鳥取県
〔種別〕農村集落
〔面積〕25.8ヘクタール
〔選定年月日〕2013.12.27
〔特色〕中国地方最高峰、大山の北麓に広がる扇状台地上に形成された農村。集落内を通る大山参詣道沿いには、茅葺きの門脇家住宅(国指定重要文化財)のほか南門脇家住宅(県指定保護文化財)、東門脇家住宅・美甘(みかも)家住宅(国登録有形文化財)をはじめ、近世から昭和初期に建てられた建築物が多く残る。屋根は桟瓦葺きで、石州瓦または黒色の真子(しんじ)瓦を使い石の棟を置く。集落内や農地を流れる水路と一体となり風情ある町並みを形成する。


大田市大森銀山(おおだしおおもりぎんざん)
〔県名〕島根県
〔種別〕鉱山町
〔面積〕162.7ヘクタール
〔選定年月日〕1987.12.5
〔特色〕江戸幕府の直轄地石見(いわみ)銀山領の中心地。大森代官所跡、同心・地役人の旧宅、熊谷家住宅(国指定重要文化財)をはじめとする商家などが約2.8キロメートルにわたって連なり、背後には寺社や石切場などが残り歴史的な鉱山町の景観を構成する。温泉津(ゆのつ)地区などとともに2007年(平成19)「石見銀山遺跡とその文化的景観」としてユネスコの世界遺産に登録された。


大田市温泉津(おおだしゆのつ)
〔県名〕島根県
〔種別〕港町・温泉町
〔面積〕36.6ヘクタール
〔選定年月日〕2004.7.6
〔特色〕石見銀山の外港として発展した温泉のある港町。近世に形成された地割をよく残し、急峻な谷筋に広がる町屋や温泉旅館などが周囲の環境と一体となって、港町と温泉町の特色ある歴史的景観を伝えている。大森銀山地区などとともに2007年(平成19)「石見銀山遺跡とその文化的景観」としてユネスコの世界遺産に登録された。


津和野町津和野(つわのちょうつわの)
〔県名〕島根県
〔種別〕武家町・商家町
〔面積〕11.1ヘクタール
〔選定年月日〕2013.8.7
〔特色〕津和野城下町に形成された武家町および商家町。旧山陰道に沿って水路や土塀が続く上級家臣の居住地(殿町)と、赤茶色の瓦(かわら)を葺(ふ)いた町屋が連なる商家町の対比が特徴的である。カトリック教会など近代の建造物も含み、コイが放たれた水路やハナショウブが彩りを添える伝統的な町並みは、山陰の小京都として広く知られる。


倉敷市倉敷川畔(くらしきしくらしきがわはん)
〔県名〕岡山県
〔種別〕商家町
〔面積〕15.0ヘクタール
〔選定年月日〕1979.5.21
〔特色〕倉敷は中世以来の湊町で、近世には備中松山藩領、のち幕府領となって代官所が置かれた。上方への物資の輸送中継地となり、倉敷川の舟運は商家に繁栄をもたらし、塗屋(ぬりや)造りの主屋や水切庇をつけたなまこ壁の土蔵が重厚な町屋の景観をつくった。18世紀初期に建てられた井上家住宅(国指定重要文化財)は保存地区の中央に位置し、当初の形式をよく残す。


津山市城東(つやましじょうとう)
〔県名〕岡山県
〔種別〕商家町
〔面積〕8.1ヘクタール
〔選定年月日〕2013.8.7
〔特色〕津山城の城下町の商家町。江戸時代に形成された町割をよく残し、出雲往来に沿う屋敷地には10間を越える大規模なものもある。敷地背面には背割(せわり)溝が通る。出格子窓、むしこ窓、なまこ壁、袖壁などを使用した昭和初期までに建てられた意匠をこらした建造物が、商家町の歴史的風致をよく伝える。


高梁市吹屋(たかはししふきや)
〔県名〕岡山県
〔種別〕鉱山町
〔面積〕6.4ヘクタール
〔選定年月日〕1977.5.18
〔特色〕戦国時代から吉岡銅山の銅、江戸後期から大正末期まではべんがら(赤色酸化鉄顔料)で繁栄した吉備(きび)高原の鉱山町。赤い石州瓦、べんがらの赤い土壁が町並みに彩りを与える。


呉市豊町御手洗(くれしゆたかまちみたらい)
〔県名〕広島県
〔種別〕港町
〔面積〕6.9ヘクタール
〔選定年月日〕1994.7.4
〔特色〕江戸時代から明治にかけて瀬戸内の潮待ち、風待ちの港町として栄えた。港町の風情をよく伝える突堤、雁木(がんぎ)、高灯籠(たかどうろう)などの歴史的港湾施設があり、18世紀前半から昭和初期までの町並み(洋風建築も含む)を伝える。


竹原市竹原地区(たけはらしたけはらちく)
〔県名〕広島県
〔種別〕製塩町
〔面積〕5.0ヘクタール
〔選定年月日〕1982.12.16
〔特色〕製塩業、瀬戸内海の廻船や酒造による繁栄が富をもたらした町で、江戸時代中期から明治にかけて建てられた塗屋造り、本瓦葺(かわらぶ)きの重厚な建物が並ぶ。春風館頼(らい)家住宅(国指定重要文化財)など、数寄屋(すきや)造りの座敷に庭園を配した家屋が多い。


福山市鞆町(ふくやましともちょう)
〔県名〕広島県
〔種別〕港町
〔面積〕8.6ヘクタール
〔選定年月日〕2017.11.28
〔特色〕瀬戸内海に突き出た沼隈(ぬまくま)半島東南端に位置する港町で、周囲の島々とともに景勝を成す「鞆の浦」(日本遺産)は『万葉集』にも歌われている。古代より潮待ちの港とされ、瀬戸内の海上交通の要衝として栄えた。中世の骨格を引き継ぎながら江戸中期までに整えられた地割に、江戸時代からの伝統的な町家や寺社、石垣等の石造物、雁木、船繋石(ふなつなぎいし)、常夜燈、浜蔵といった港湾施設などが一体となって良好に残る。町人町は2間という狭い間口の敷地が集積する一方、太田家住宅(重要文化財)のように隣接地を買い取りながら敷地を拡大した商家もみられる。町家主屋は切妻造り、平入の2階建てで、正面に「オダレ」とよぶ下屋(げや)を設け、本瓦葺きで、庇が連なる景観が特徴の一つとなっている。また、福禅寺本堂および客殿、対潮楼(たいちょうろう)は「朝鮮通信使遺跡」(史跡、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界の記憶」)として知られる。


萩市堀内地区(はぎしほりうちちく)
〔県名〕山口県
〔種別〕武家町
〔面積〕55.0ヘクタール
〔選定年月日〕1976.9.4
〔特色〕萩城三の丸にあたる地区で、長州(毛利)藩の諸役所があったほか、毛利一門、大身武士の居住地であった。近世の地割を残し、屋敷地をめぐって土塀が続き、要所に長屋門を構える。明治維新後に士族救済のため屋敷跡に植えられた夏ミカンの木とよく調和している。


萩市平安古地区(はぎしひやこちく)
〔県名〕山口県
〔種別〕武家町
〔面積〕4.0ヘクタール
〔選定年月日〕1976.9.4
〔特色〕長州(毛利)藩の毛利一門、大身・中身武士の居住地。近世城下町の鍵曲りの街路や侍屋敷としての地割をよく残し、堅固な土塀を巡らした屋敷地と明治維新後に植樹された夏ミカンが歴史的風致を形成している。


萩市浜崎(はぎしはまさき)
〔県名〕山口県
〔種別〕港町
〔面積〕10.3ヘクタール
〔選定年月日〕2001.11.14
〔特色〕萩城下町建設とともに開かれた港町。中世以来の水産業と北前船の寄港地として栄え、大正から昭和初期には水産加工物などを積み出した。江戸時代の街路や敷地割、御座船を納めた旧船倉(国史跡)や、江戸時代から昭和初期の町屋が残る。


萩市佐々並市(はぎしささなみいち)
〔県名〕山口県
〔種別〕宿場町
〔面積〕20.8ヘクタール
〔選定年月日〕2011.6.20
〔特色〕長州(毛利)藩初代藩主毛利輝元(もうりてるもと)が萩と瀬戸内海側の三田尻(みたじり)を結ぶ萩往還を整備した際に設置された宿駅の一つ。保存地区は、幕末から近代にかけての茅葺(かやぶ)きや赤い石州瓦(せきしゅうがわら)で葺かれた主屋のほか、町並みへ下る往還沿いには棚田の石垣が多く残り、山から集落に引かれた水路とともに、山間に立地する集落の独特な景観を形成している。


柳井市古市金屋(やないしふるいちかなや)
〔県名〕山口県
〔種別〕商家町
〔面積〕1.7ヘクタール
〔選定年月日〕1984.12.10
〔特色〕柳井川の河口近く、瀬戸内海沿岸の市場町で、中世以降から栄えた。柳井川は物資輸送の役割を果たし、荷卸場を中心として街路がつくられた。中世の地割を伝え、1768年(明和5)の大火以降建築された白しっくい塗りによる大壁造り、瓦葺(かわらぶ)き、妻入(つまいり)の町屋が並ぶ。


美馬市脇町南町(みましわきまちみなみまち)
〔県名〕徳島県
〔種別〕商家町
〔面積〕5.3ヘクタール
〔選定年月日〕1988.12.16
〔特色〕近世以降、阿波(あわ)地方特産の阿波藍(あい)と生糸生産で栄えた吉野川中流域にある商家町。脇町のうち撫養(むや)街道に沿うもっとも繁華な地区で、1707年(宝永4)を最古とし、各時代にわたる町屋が残る。本瓦葺(かわらぶ)き・大壁造り白しっくい塗りで、むしこ窓やうだつなど装飾に凝ったものが多い。


三好市東祖谷山村落合(みよししひがしいややまそんおちあい)
〔県名〕徳島県
〔種別〕山村集落
〔面積〕32.3ヘクタール
〔選定年月日〕2005.12.27
〔特色〕祖谷川流域に位置する山村集落。急峻(きゅうしゅん)な山の斜面に段畑が広がり、周辺の自然と一体となった伝統的民家や祖谷街道沿いの町並みが残る。民家には江戸時代の建造物があり、田畑や山林は集落の生産・維持と結びついている。建造物群と環境が一体となってこの集落形成のあり方、歴史的景観をよく伝える。田畑や民家を支える伝統的な石垣に特色がある。


牟岐町出羽島(むぎちょうてばじま)
〔県名〕徳島県
〔種別〕漁村集落
〔面積〕3.7ヘクタール
〔選定年月日〕2017.2.23
〔特色〕徳島県南部、牟岐町の南海上にある出羽島北部の入り江に形成された漁村。徳島藩の移住政策により1800年(寛政12)から集落の形成が始まり、明治後期から昭和戦前期にかけて、主としてカツオ漁で栄えた。1840年(天保11)を最古とし、江戸期から昭和初期にかけて建てられた伝統的な主屋がよく残り、その大半は道路に面して建つ間口3~4間規模の町家で、切妻造、平入、平屋もしくは二階建である。正面外観は、蔀(しとみ)と床几(しょうぎ)から成る揚(あ)げ見世(みせ)と出格子を特徴とする。同規模、同形式の伝統的な主屋が、社寺や集落南部の斜面に階段状に形成された畑地、小路、石積・石垣、井戸・燈籠等の石造物等と一体となって、近世後期に形成された漁村をよく伝えている。


丸亀市塩飽本島町笠島(まるがめししわくほんじまちょうかさしま)
〔県名〕香川県
〔種別〕港町
〔面積〕13.1ヘクタール
〔選定年月日〕1985.4.13
〔特色〕塩飽本島は、中世から江戸時代にかけて海運業で栄えた塩飽諸島の中心。笠島はその中央の集落をなし、江戸中期以降は船大工、家大工業で知られた。本瓦葺(ほんかわらぶ)き、大壁造りの重厚な町並みが特色である。


西予市宇和町卯之町(せいよしうわちょううのまち)
〔県名〕愛媛県
〔種別〕在郷町
〔面積〕4.9ヘクタール
〔選定年月日〕2009.12.8
〔特色〕戦国時代、北方にあった松葉城の城下商人を移したのが町の始まりとされ、江戸時代には宇和盆地の農産物や宇和檜(ひのき)の集散地となり、在郷町としてにぎわった。宇和島街道に沿って発達した集落は、街道の宿場町、四国八十八か所第43番札所明石(めいせき)寺の門前町としての性格をあわせもつ。江戸時代の地割を伝え、開口部以外を塗り込めた桟瓦葺(さんがわらぶ)きの重厚な町屋がよく残り、道沿いに妻入(つまいり)と平入(ひらいり)が混在するのが特徴の一つである。


内子町八日市護国(うちこちょうようかいちごこく)
〔県名〕愛媛県
〔種別〕製蝋(せいろう)町
〔面積〕3.5ヘクタール
〔選定年月日〕1982.4.17
〔特色〕江戸時代後半から明治に、木蝋(もくろう)の伊予式晒(いよしきさらし)法の考案で繁栄した地域。大洲(おおず)街道沿いに塗屋造、腰をなまこ壁とした家々が並ぶ。木蝋生産の基礎を築いた芳我(はが)家の本芳我家住宅(国指定重要文化財)は道に面した主屋や土蔵にしっくいの鏝絵(こてえ)など凝った意匠がみられる。


室戸市吉良川町(むろとしきらがわちょう)
〔県名〕高知県
〔種別〕在郷町
〔面積〕18.3ヘクタール
〔選定年月日〕1997.10.31
〔特色〕浜街道沿いに位置し、土佐湾に面する。明治時代から昭和初期にかけて木炭の積出し港として栄えた。多くの建造物がこの時期のもので、外壁が土佐しっくい仕上げ、水切瓦(みずきりがわら)を使った蔵、いしぐろとよばれる割り玉石を積んだ石垣など特色ある建造物が並ぶ。


安芸市土居廓中(あきしどいかちゅう)
〔県名〕高知県
〔種別〕武家町
〔面積〕9.2ヘクタール
〔選定年月日〕2012.7.9
〔特色〕土佐藩家老五藤為重により形成された武家町。五藤氏の屋敷は堀に囲まれた土居にあった。保存地区は近世の町割の骨格をとどめており、江戸末期から昭和戦前期に建てられた伝統的な建造物が残る。通りに沿って生け垣や塀などが連なる歴史的景観を伝える。


八女市八女福島(やめしやめふくしま)
〔県名〕福岡県
〔種別〕商家町
〔面積〕19.8ヘクタール
〔選定年月日〕2002.5.23
〔特色〕江戸時代初期に柳河藩福島城の城下町に形成された商家町。柳河藩田中氏改易後は久留米藩の在郷町となり、周辺の農林産物の集散地として栄えた。城下町時代の町割が残り、江戸時代から近代にかけての塗屋造りの町屋などが並ぶ。


八女市黒木(やめしくろぎ)
〔県名〕福岡県
〔種別〕在郷町
〔面積〕18.4ヘクタール
〔選定年月日〕2009.6.30
〔特色〕江戸時代に発展した久留米藩の在郷町。2度の大火を契機に主屋は茅葺(かやぶ)きから入母屋造妻入(いりもやづくりつまいり)、桟瓦(さんがわら)葺きで外壁を塗り込める居蔵造りへと変化していった。江戸時代後期以降の重厚な町屋がよく残り、堰(せき)や木橋、水路、棚田など、矢部川の高度な水利技術にまつわる景観も含む。


うきは市筑後吉井(うきはしちくごよしい)
〔県名〕福岡県
〔種別〕在郷町
〔面積〕20.7ヘクタール
〔選定年月日〕1996.12.10
〔特色〕久留米と日田(ひた)を結ぶ豊後(ぶんご)街道の宿場町および在郷町。江戸時代中期以降は製蝋や製糖、金融活動(吉井銀(よしいがね))などで栄え、筑後地方の経済の中心的存在に発展した。街道沿いに続く塗屋造りの町屋は1869年(明治2)の大火以後大正にかけて建造されたものが多い。


うきは市新川田篭(うきはしにいかわたごもり)
〔県名〕福岡県
〔種別〕山村集落
〔面積〕71.2ヘクタール
〔選定年月日〕2012.7.9
〔特色〕耳納(みのう)山系の山間部にある。隈上(くまのうえ)川から取水する井手を利用した棚田と10から30軒ほどの集落が分布する。主屋は近世以降は寄棟造(よせむねづく)りの茅葺(かやぶ)き、明治時代以降は入母屋造(いりもやづく)りの瓦葺(かわらぶ)きの建物がよく残る。棚田、家屋は石垣で築かれて川沿いに階段状を成し、樹木、川などと一体となって特徴的な景観を形成している。


朝倉市秋月(あさくらしあきづき)
〔県名〕福岡県
〔種別〕城下町
〔面積〕58.6ヘクタール
〔選定年月日〕1998.4.17
〔特色〕福岡県中部、四方を筑紫(つくし)山系に連なる丘陵で囲われた小盆地に位置する秋月藩の城下町。街路や水路、地割をはじめ、近世から近代にかけての武家屋敷、町屋、社寺建築など往時のおもかげを色濃く残す。


鹿島市浜庄津町浜金屋町(かしましはましょうづまちはまかなやまち)
〔県名〕佐賀県
〔種別〕港町・在郷町
〔面積〕2.0ヘクタール
〔選定年月日〕2006.7.5
〔特色〕浜川の河港を背景として成立した在郷町。近世の地割を残し、道沿いや敷地の背後に水路が通る。近世末から近代にかけて建築された茅葺(かやぶ)きや桟瓦葺(さんがわらぶ)きの町屋が混在して建ち並び、歴史的風致を今日によく伝えている。


鹿島市浜中町八本木宿(かしましはまなかまちはちほんぎしゅく)
〔県名〕佐賀県
〔種別〕醸造町
〔面積〕6.7ヘクタール
〔選定年月日〕2006.7.5
〔特色〕浜川の左岸に位置する醸造町。長崎街道の脇街道として有明海沿いを通る多良海道の宿であったが、江戸中期ごろから酒造など醸造業が盛んになった。土蔵造りの大型酒蔵、居蔵造りの町屋、茅葺き町屋、洋風建築など、近世後期から昭和に至る多様な建築が残る。


嬉野市塩田津(うれしのししおたつ)
〔県名〕佐賀県
〔種別〕商家町
〔面積〕12.8ヘクタール
〔選定年月日〕2005.12.27
〔特色〕有明海に注ぐ塩田川の河港。江戸時代中期ごろまでは長崎街道の宿としても栄えた。陶磁器やその原料である天草石(あまくさいし)などを扱い、藤津(ふじつ)地方の経済の中心地であった。1789年(寛政1)の大火後に建てられた居蔵造の町屋が残る。川側には塩田石工の手になる高い石垣が築かれ、川に降りる石段が設けられるなど、河港特有の景観をつくりだしている。保存地区の表通りには、国指定重要文化財の西岡家住宅と登録有形文化財の杉光陶器店がある。


有田町有田内山(ありたちょうありたうちやま)
〔県名〕佐賀県
〔種別〕製磁町
〔面積〕15.9ヘクタール
〔選定年月日〕1991.4.30
〔特色〕江戸時代から現在に至るまで有田焼窯元の中心地域。1829年(文政11)の大火から昭和初期にかけて建造された大きな妻入(つまいり)の土蔵造り、瀟洒(しょうしゃ)な洋風建築などが混在し、往時の繁栄がうかがえる。


長崎市東山手(ながさきしひがしやまて)
〔県名〕長崎県
〔種別〕港町
〔面積〕7.5ヘクタール
〔選定年月日〕1991.4.30
〔特色〕幕末に設けられた開港場の外国人居留地。大浦川右岸の丘陵の一画を占め、当時は外交の場所として各国の領事館が建ち並んでいた。オランダ坂の石畳や煉瓦(れんが)塀などの居留地時代からの工作物、旧長崎英国領事館(国指定重要文化財)など、明治から大正時代の洋風建築などが良好な状態で残されている。


長崎市南山手(ながさきしみなみやまて)
〔県名〕長崎県
〔種別〕港町
〔面積〕17.0ヘクタール
〔選定年月日〕1991.4.30
〔特色〕幕末に開港した長崎の外国人居留地で、おもに住宅地として使われていた区域。長崎湾を見下ろす眺望の良い丘の上に位置し、幕末から明治時代に建てられた洋風建築や石畳が往時の景観をいまに伝える。北部に国宝の大浦天主堂や旧グラバー住宅(国指定重要文化財)などがある。


平戸市大島村神浦(ひらどしおおしまむらこうのうら)
〔県名〕長崎県
〔種別〕港町
〔面積〕21.2ヘクタール
〔選定年月日〕2008.6.9
〔特色〕江戸時代前期に捕鯨組織の鯨組が創設されて繁栄した、的山大島(あづちおおしま)南岸の港町。捕鯨廃業後も船問屋、大工、製造業などで発展、町並みが形成された。江戸時代中期から昭和にかけての町屋が神浦湾に沿って屈曲した通りに並び、高台の寺院などと一体化した景観を成す。


雲仙市神代小路(うんぜんしこうじろくうじ)
〔県名〕長崎県
〔種別〕武家町
〔面積〕9.8ヘクタール
〔選定年月日〕2005.7.22
〔特色〕鍋島陣屋跡(鍋島邸、長屋門、庭園など)を中心とする神代鍋島藩の武家屋敷群と明治時代以降の近代和風建築群からなる地区。江戸時代に神代鍋島家第4代当主鍋島嵩就(たかなり)が神代城(鶴亀城)の東側に武家地を造成し陣屋を構えたことに始まり、以降、住宅地として維持されてきた。水路、石垣、生け垣、樹木とともに町並みがよく保存されている。


日田市豆田町(ひたしまめだまち)
〔県名〕大分県
〔種別〕商家町
〔面積〕10.7ヘクタール
〔選定年月日〕2004.12.10
〔特色〕九州における旧幕領地で近世初期の町割をよく残す商家町。江戸時代は代官所の陣屋町として九州の政治・経済の中心地の一つであった。昭和初期にかけて商人の町として繁栄し、各町、各時代の特色ある建築・意匠様式を用いた町屋や洋館などが残り、変化に富んだ町並みを形づくっている。


杵築市北台南台(きつきしきただいみなみだい)
〔県名〕大分県
〔種別〕武家町
〔面積〕16.1ヘクタール
〔選定年月日〕2017.11.28
〔特色〕国東(くにさき)半島南部に位置する旧城下町。城跡から西に延びる岬と背後の台地上にある。台地は東西に走る谷によって南北に分断され、北部は北台、南部は南台とよばれる。江戸時代にはこの台地上を武家地として区画し、近代以降もその地割を残して住宅街となっている。北台、南台とも江戸後期・末期に大火があったが、地割を残してそのつど住宅が再建されたため、地区内には江戸末期の武家住宅が多く現存する。敷地は石垣で造成して土塀などで囲い、通りに面して長屋門や薬医門で門口を開く。主屋は茅葺きや瓦葺きで、式台を構えて格式を示し、主屋と門の間には前庭を配してソテツやマツを植える。藩政期以来の地割をよく踏襲し、近世武家住宅を中心とした江戸末期から昭和中期までの伝統的建造物を密度高く残している。


日南市飫肥(にちなんしおび)
〔県名〕宮崎県
〔種別〕武家町
〔面積〕19.8ヘクタール
〔選定年月日〕1977.5.18
〔特色〕地方小藩伊東氏の飫肥城跡南半部と城下町飫肥の武家屋敷群。南面一帯に庭園を備えた旧藩主伊東氏の屋敷や旧藩校進徳(しんとく)堂が残る。石垣の上には石塀などを設け、種々の植栽や木立ちに覆われた門や長屋塀などが武家屋敷の往時をしのばせる。


日向市美々津(ひゅうがしみみつ)
〔県名〕宮崎県
〔種別〕港町
〔面積〕7.2ヘクタール
〔選定年月日〕1986.12.8
〔特色〕瀬戸内水運の西端にあたる耳川河口の港町。江戸時代には高鍋藩年貢米の津出湊、明治・大正期にかけても廻船業を中心に栄えた。豊後街道ほか2本の主道路と「ツキヌケ」とよばれる防火路が設けられ、上方(かみがた)風の商家、操船・水運業者の家、漁家などが連なる。


椎葉村十根川(しいばそんとねがわ)
〔県名〕宮崎県
〔種別〕山村集落
〔面積〕39.9ヘクタール
〔選定年月日〕1998.12.25
〔特色〕九州山地中央部に位置する谷間の段丘地に形成された山村集落。椎葉型とよばれる3、4室の広い部屋が1列に並ぶ平面形式の主屋と隣接する馬屋、重なりあう石垣などが山林に囲まれる独特の歴史的景観をみせている。


出水市出水麓(いずみしいずみふもと)
〔県名〕鹿児島県
〔種別〕武家町
〔面積〕43.8ヘクタール
〔選定年月日〕1995.12.26
〔特色〕薩摩(さつま)藩が設けた行政単位である外城(とじょう)のうち、もっとも古く、最大級の出水郷の中心地に置かれた麓(在郷家臣団の集住地区)の武家屋敷地。城山に続く丘を整地して碁盤目状の街区に郷士の屋敷を配した。玉石垣や生け垣、武家門、樹木などが伝統的建物群と一体となり、麓の歴史的景観を形成している。


薩摩川内市入来麓(さつませんだいしいりきふもと)
〔県名〕鹿児島県
〔種別〕武家町
〔面積〕19.2ヘクタール
〔選定年月日〕2003.12.25
〔特色〕薩摩藩の麓集落の武家屋敷地。中世の清色(きよしき)城山裾の集落を基盤として近世の街路構成と地割をよく残し、これを囲む石垣や生け垣、庭園、樹木などの環境と一体となった特色ある歴史的景観をよく伝えている。


南九州市知覧(みなみきゅうしゅうしちらん)
〔県名〕鹿児島県
〔種別〕武家町
〔面積〕18.6ヘクタール
〔選定年月日〕1981.11.30
〔特色〕薩摩藩の麓(ふもと)集落の武家屋敷地。御仮屋(おかりや)(政庁)を中心とした道路割りがよく残され、切石(きりいし)積みの石垣と生け垣をめぐらした庭園都市的な造りとなっている。7家の庭園が「知覧麓庭園」として国名勝に指定されている。


渡名喜村渡名喜島(となきそんとなきじま)
〔県名〕沖縄県
〔種別〕島の農村集落
〔面積〕21.4ヘクタール
〔選定年月日〕2000.5.25
〔特色〕渡名喜島の集落部分すべてと渡名喜里遺跡等を含む農村集落。家屋は風よけのため敷地を低く掘り下げている(掘り下げ屋敷)。周囲の石垣やフクギの屋敷林に囲まれた琉球赤瓦葺(りゅうきゅうあかがわらぶ)き屋根の主屋などがよく残る。


竹富町竹富島(たけとみちょうたけとみじま)
〔県名〕沖縄県
〔種別〕島の農村集落
〔面積〕38.3ヘクタール
〔選定年月日〕1987.4.28
〔特色〕サンゴの石垣に囲まれた屋敷群を中心とする農村集落。屋敷は敷地の中心に主屋、その西隣に炊事棟が位置する伝統的な配置。主屋は木造・平屋、寄棟屋根で、かつては茅葺であったが現在は琉球赤瓦葺(りゅうきゅうあかがわらぶ)きしっくい塗り。木板張りの外壁や軒(のき)の深さと低さなどに特徴がある。

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百科事典マイペディア 「伝統的建造物群保存地区」の意味・わかりやすい解説

伝統的建造物群保存地区【でんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく】

1975年に改正された文化財保護法によって規定される町並み。伝統的建造物群を〈周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群で価値の高いもの〉と定義し,周辺環境とともに市町村によって決定される。これらのうち,特に価値の高いものと認められる場合は,市町村の申し出に基づき文部科学大臣が〈重要伝統的建造物群保存地区〉として認定,維持管理経費の一部を国が補助する仕組みになっている。2013年12月現在,全国で86市町村,106地区ある。

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改訂新版 世界大百科事典 「伝統的建造物群保存地区」の意味・わかりやすい解説

伝統的建造物群保存地区 (でんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の伝統的建造物群保存地区の言及

【町並み保存】より

… 以上のような動向や,後述する世界各国での動きをふまえて,文化庁では75年,文化財保護法を改正して,町並み保存のための法制を整備した。すなわち,まず同法第1章総則のなかで文化財の定義を定めた第2条に,新たに〈周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的な建造物群で価値の高いもの〉を〈伝統的建造物群〉と名づけて文化財の一種に位置づけるとともに,伝統的建造物群保存地区に関する規定をまとめて第5章の2とした。ここでは伝統的建造物群およびこれと一体をなしてその価値を形成している環境を保存するため〈伝統的建造物群保存地区〉を決定することになっている(同法第83条の2)。…

※「伝統的建造物群保存地区」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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